2010年6月17日木曜日

いま初めて立証された真実の天神様の実体

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:9頁

これで<珍・津名>の地名と名乗りが、

遠い南海から出発したことがわかる。

そこから一気に淡路まで進出したとは考えられないから、

珍の名は世襲で、

それぞれの地域には別の支配者がいたと考えるのが正しい。

藩のような封建的分治が行なわれていた証拠である。

それは<天神社>の数が多いことでも立証されている。

全国にある<天神社>は、

今ではほとんど全てが<菅原道真>が祭神だということになっているが、

道真が死んでから天神社が創建されたのではなく、

道真の崇りを恐れた<藤原系政権>が、

当時はどんな神が祭られているのか不明になっていた天神社に、

道真の怨霊を封じ込めたために、

道真が天神様だということになった経緯は有名な話である。

この時の天神社は京都市上京区の北野天満宮で、

正式名は北野神社である。

62代・村上天皇の天暦元年のことだから、

平安時代にはもう天神様の正体は誰も知らなかったのである。

いま私がお話しするまでは……。

そして僅かに<志筑神社>だけが<国幣社>として

『延喜式』に掲載されていた。

その延喜3年に道真は筑紫で病死したのだから、

<志筑>と<筑紫>は一見よく似ているが、

<志筑>のほうが道真よりも古くから存在していて、

道真とは無関係だと立証している。

こうした場合、名の類似だけで判断しがちだが、

これは「それはいけない」という警告にもなっているのである。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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