2010年6月13日日曜日

讃の出身地と遠征コースは鹿児島から四国まで

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:5頁


では彼の出発点は大分県北部の<宇佐>付近だったのか?。

念のため九州全域を調査してみると大隅半島に<大崎>(曽於郡)がある。

ここは現地では<ウサッ>と発音されていて、

<兎>を指して呼ぶ<ウサッ>と全く同じである。

倭王・讃の遠征前の所領とすればここが出発点なのである。

これと反対に終点と考えられる地名が近畿の堺市の南にある。

大阪府の<尾崎>(泉南郡)である。

ここの発音は<オザキ>で語源が<兎>だと思う者はいないが、

一連の歴史を知る私たちには、その関連が考えられる。

それは倭王・済(倭済イズミ)が和泉を所領に加えた後、

仁徳天皇を記念して何かを行なった遺跡名である可能性が、

充分考えられるからである。

倭王・讃は、<大崎>から<宇佐>へ進み、

四国へ渡って大三(ウサ)島から阿波・讃岐に至った。

この範囲がその名乗りの所領である。

だから四国から鳴門海峡を越えた淡路島には入っていない。

徳島・香川から淡路島に入ったのは、

その次の<倭王・珍>の時代ということになる。

珍は古音では<チヌ>。

大阪湾を茅沼(チヌ)の海と呼ぶ<チヌ>である。

ところが大阪側には<チヌ>という地名はない。

それは淡路島の地名・<津名>からきていると前号でお話しした。

沖縄語では<津>の字を<チ>と発音するから、

沖縄という当て字を生んだ元の名は<ウチナ>で、

<倭津名>または<大津名>を<ウチナ>と呼んだものに一致する。

<津名>の地名は<沖縄>と同じ語源をもっているのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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