2010年6月24日木曜日

応神の名はコンタか?ホンタか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:16頁

話題を本題に戻そう。

こうして<讃と珍>の名がともにパーリ語で、

<兎のササ>と<天柱のツナ>であり、

それが沖縄方言化した<チヌ>だったことがわかると、

次の倭王・済にとりかかる前に、

讃と珍の父・応神天皇の問題を解決しておかねばならない。

なぜなら戦後、唯物史観学者が

応神天皇とそれ以前を虚構だと独断で義務教育から

抹殺してしまっているからである。

このことは本講では関連があるたび繰り返し取り上げてきたが、

パーリ語との検証はまだだった。

それをここで最終的にお話しして、

応神天皇の実在を立証する決定的な総括にしよう。

『日本書記』には天皇の身体に、

矢の容器の鞆=ホムタのようなコブがあるので、

<ホムタワケ>と呼ぶ解説があるし、

『古事記』は<品陀天皇>と書いて<ホンダ天皇>と読ませている。

だが大阪府羽曳野(はびきの)市誉田(こんだ)の天皇の陵は

<誉田>と書いて<コンダ陵>と読むし、

そこにあって天皇を祭る社の名も<

誉田八幡>と書いて<コンダハチマン>と発音する。

どちらが正しいのだろうか?。

<コ>と<ホ>の関係は<カ行>と<ハ行>の違いで、

<韓国>を<カン国>といい<ハン国>という違いに等しいから、

<コンダ>は我が国型の発音で

<ホンダ>は朝鮮語型の発音である。

だから『記・紀』が

半島からの帰化人によって書かれたという説は、

この天皇名への当て字差をみれば正しいようにみえる。

これを基準にする限りでは、

<品陀>と当て字した<太の安萬侶>は半島出身だった可能性がある。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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