『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:22頁
また、大阪府下の巨大古墳群も安康天皇=倭王・興=百済蓋鹵(コウロ)王が、
高句麗の僧・道琳に教えられて作った父祖を供養する仏教のスツーパ=卒塔婆で、
前方後円の形は仏教の聖山・須弥山(しゅみせん)を象ったものなども、
拙著『邪馬臺国の言葉』、
『日本人のルーツ』、
『真説・日本誕生、誰が巨大古墳を造ったのか』
などで考証済みであり、
応神天皇陵の円墳頂部には
印度サーンチーの舎か迦仏塔の頂部にあるのと
同じ意味の九輪塔があって、
応神天皇が八幡大菩薩という仏号で呼ばれていることとも併せて、
仏教建物であることは周知のはずであるから、
いまさら合子(ごうす)形石製品を持ち出すまでもないが、
それが
「ヤマトでは前期中葉-後半の古墳にみられる副葬品である」
事実は、
『天孫降臨』の時期を計る尺度として貴重なのである。
またそれは旧卑弥呼政権の南九州からの移動が、
倭の五王系の移動に先だっていたことを証明する。
それもまた和泉黄金(こがね)塚古墳の景初三年鏡などが立証していたが、
この合子(ごうす)形石製品の洗練された姿と量はそれに勝る説得力がある。
弥生時代の開始期に水稲稲作農業と金属工業をもって仏教の宣布にやってきた
ウッタラと銅鐸と古墳群。
その後へ3世紀半ばに南九州を追われてやってきた旧卑弥呼政権と古墳群。
それを追って奈良にはいった5世紀の倭王・興と武の古墳群。
3者は全て仏教徒だから
「葦(ナラ)」が仏教圏だったことは明瞭なのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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