『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:17頁
また安萬侶の姓が「太」という半島人型の一字姓であることも、
半島人の特質としてこれと複合してくるので、
彼が半島出身者だった可能性が一層有力になる。
するとさらに国史編纂を天皇から任されたにしては
余りにも地位の低い理由が見えてくる。
彼はその出身地のために、いかに文学の才能が優れていても、
高位には昇れない宿命を担っていたことになる。
だがそれ以上に重大なことは、
応神天皇の母である神宮皇后が、新羅・百済を征服支配し、
そのあとを応神が継いで半島に君臨していたという記事が
史実になる点のほうである。
『記・紀』は双方ともそれをこの半島訛り型を
気にせずに記載しているから、
半島支配が事実だったことの強い証言になる。
それなら応神架空説など問題にもならない。
安萬侶らは<ホンタ天皇>の方が実在者で、
<コンタ天皇>など知らなかったからである。
また『記・紀』編纂責任者たちも、
そのことを少しも問題にしていない。
こうした問題も在来の日本史家は全然気づかず、
議論した者もいないが、
これは過去には考えられもしなかった
『記・紀』編集者たちの実態を、
このことがより深く、
より正確に教えてくれているとみることができる。
これで<応神天皇>が実在者だったばかりか、
半島支配もまた決して架空ではなかった可能性が一段と高くなった。
ではその本当の名乗り「コンタ」とは一体?何のことなのだろう?。
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
0 件のコメント:
コメントを投稿