『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:14頁
それだけではない。
倭王・珍が、どこからどこへ海を渡ったのか、
それも本講座でお話ししたように沼島から対岸の海南市日方だった。
だから沼島の海岸に立神岩
(お上の出発点>を記念した石柱=発(た)つ上(がみ)岩)を造り、
「帝柱 inda khila インギーラ」と呼び、
磤馭盧(インギーラ)と当て字したのである。
だがこれを<オノゴロ>と読み損なったものを
『古事記』の筆者が淤能碁呂島と当て字した。
それを物知り顔に、
それは海の潮が「自然に凝り固まってできた島」という意味だと、
さらにコジつけたために、
まるで幼稚な野蛮なお伽話になってしまった。
こうして立派な史実が冒涜されて蛮人の迷信なみのものになってしまい、
淡路島も
「輝かしい統一国家・大和朝廷」建国の一大基地だったという、
我が国の歴史上、特筆に値いする真実の地位に、
黒く薄汚い泥を塗られて、
「小島は海の塩が自然に固まってできたものだと
信じるような島民の住む、野蛮な田舎の島」
というイメージに固定されてしまった。
真実の古代日本の高い文明文化とは、
あまりにもかけ離れ過ぎた低劣なニセの日本人像が、
それらの連中によって作られ、
それを後継者の日本史家たちが、
平気で国民に教え、
世界に宣伝してきたのである。
こうした腹立たしい事実をこのまま見過ごすことはできないから、
私たちは大きな経済的苦痛に耐え犠牲を払いながら、
日夜奮闘し続けているのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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