『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:24頁
次の「津名」はパーリ語では「tuna 桂」のことである。
『国生み』のところでお話ししたように、
伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)は天の御桂を立ててその周りを回る。
津名の名は、その御柱を意味している。
沼島にある立神岩もその御柱だが、
それだげではなく、津名そのものが巨大な御柱だったのである。
御柱とは「国家のセンター」を意味していたのだ。
そしてツナは沖縄発音だと「チヌ」。
倭王・珍の本領だったことがわかる。
大阪湾がチヌの海と呼ばれたのは、
淡路島の津名からみた大阪湾をチヌの海と呼んだ名残であって、
紀伊はチヌが語源でも、キノ国になった発音変化後の紀州からでは、
大阪湾にはチヌの名はつかない。
なぜなら友が島などの島々が大阪湾と紀淡海峡を
区切っていて和歌山は無縁だからである。
それでもまだ一歩譲って、命名したと仮定してみても、
その場合は「キノ」であってチヌにはならない。
どこからみても「チヌの海」は、津名が主体の名だったのである。
チヌが沖縄語ではテンの発音変化で、
「天」を意味することは常識だが、
その津名町には天神社があり
『延喜式』にまで記載されている古社であることは前にもお話しした。
これも津名が「天」であることを明確に証明している。
だから当時の天照大神がいたのは津名だと断定して間違いない。
天神はその略称で、本来の釧み方は「アマツカミ=尼津上」である。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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