2010年6月27日日曜日

品陀和気の由来は海神ポントスから 

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:19頁

しかし<八幡>は少なくとも2人いる。

わかりやすく要約すると、

『大隈正八幡縁起』にある<オオヒルメ>が海を渡って

<隼人>に連れてきた<八幡>は、

卑弥呼時代の3世紀に<狭穂姫皇后>が生んだ垂仁天皇の皇子・

<本都別>(ホムツワケ・ホントワケ)だとわかっている。

もう一人はずっと後の4世紀に

<武内宿祢>に連れられて角我の宮に詣でて、

そこに居た神様または王と名前を交換したために

品陀和気(ホンタワケ)または誉田別になった幼い皇子だ。

だから名は同じでも年齢が大きく違っている。

あとの方が仁徳天皇の父の応神天皇である。

3世紀の本都別>は南九州の南の海にある島で生まれている。

そこはギリシャ人が支配していた

<ヨナ国>(イオニヤ=ギリシャのパーリ語)圏で、

海人たちの世界だったから、

国の名も<ポセイドン>(百済(ホセ)出水(イヅン))など

海神の名をつけていた。

このことを考えると<本都別>という名も

海神の<ポントス>にピッタリ合っている。

オオヒルメこと壹與は『三国史記』の新羅始祖王赫居世で

<徐那伐>(ヨナバル=沖縄の与那原)で即位しているから、

与那=ギリシャ人である。

だから彼女が連れてきた姉の子が

<ポントス>という名だったの当然のことである。

しかし沖縄語圏では<oe音>は使わないから

<ポントスビコ>は<フムツビチ>になる。

しかし文字は誉めるの誉(ホメ)をフムとして使い、

<誉都別>と書いたのである。

これが<ホムタの由来>なのだ。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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