『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:19頁
しかし<八幡>は少なくとも2人いる。
わかりやすく要約すると、
『大隈正八幡縁起』にある<オオヒルメ>が海を渡って
<隼人>に連れてきた<八幡>は、
卑弥呼時代の3世紀に<狭穂姫皇后>が生んだ垂仁天皇の皇子・
<本都別>(ホムツワケ・ホントワケ)だとわかっている。
もう一人はずっと後の4世紀に
<武内宿祢>に連れられて角我の宮に詣でて、
そこに居た神様または王と名前を交換したために
品陀和気(ホンタワケ)または誉田別になった幼い皇子だ。
だから名は同じでも年齢が大きく違っている。
あとの方が仁徳天皇の父の応神天皇である。
3世紀の本都別>は南九州の南の海にある島で生まれている。
そこはギリシャ人が支配していた
<ヨナ国>(イオニヤ=ギリシャのパーリ語)圏で、
海人たちの世界だったから、
国の名も<ポセイドン>(百済(ホセ)出水(イヅン))など
海神の名をつけていた。
このことを考えると<本都別>という名も
海神の<ポントス>にピッタリ合っている。
オオヒルメこと壹與は『三国史記』の新羅始祖王赫居世で
<徐那伐>(ヨナバル=沖縄の与那原)で即位しているから、
与那=ギリシャ人である。
だから彼女が連れてきた姉の子が
<ポントス>という名だったの当然のことである。
しかし沖縄語圏では<oe音>は使わないから
<ポントスビコ>は<フムツビチ>になる。
しかし文字は誉めるの誉(ホメ)をフムとして使い、
<誉都別>と書いたのである。
これが<ホムタの由来>なのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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