『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:10頁
こうしてパーリ語の語源がわかったことで、
これまで子供だましの伝説としか考えられていなかった<天の御柱>をめぐる
<伊弉諾・伊弉冉尊>2神による「国生み」の説話が、
たちまち史実として動かぬ権威をもつものに昇格したことが、
よくおわかり戴けたと思う。
それは神ではなく人として実在した倭王・珍が
淡路島の津名を彼等<天孫族の国の御柱>として、
それをバックに本当に新しい国家・大和朝廷を生み出したからである。
では史実の珍とは『記・紀』の誰に当たるか?、
つぎはそれを詳しく検討してみよう。
倭王・讃が<ウサギ>の名をもつ<大雀命=仁徳天皇>であることは疑いないが、
彼には<ウサギ>によく似た名をもつ兄・<大山守命>がいる。
区別点を指摘すると、大ウ、山サン、守カミまたはモリ。
宇佐の神、または山守で、宇佐神宮の祭神か山を守る王でしかなく、
讃岐までを支配したのは語尾に王(キ)をもつ
<大雀・大山祇の仁徳天皇>しかいない。
『古事記』によると2人の父・応神天皇はこの2人の弟の
宇遅能和紀郎子(ウチノワキいらつこ)を後継者に選んだので、
大山守命は怒って弟を攻めた。
仁徳は父の遺志を尊んで弟を助け兄を倒した。
だから大山守命は宇佐以東へ行けるはずがないし支配者でもないから、
倭王・讃ではない。
この宇遅能和紀郎子が
<ウ=倭(オホ)=阿波>、<チヌ=珍=津名>、<ワキ=和歌・紀>という
名乗りをもっているから<珍>に合う。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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