『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:30頁
では『天孫降臨』の正確な時はいっか?。
念をいれて、視点を変えて再検討してみよう。
まだ一部の者が信じているように、
卑弥呼政権が3世紀に奈良にあったのなら、
4~5世紀の「国生み」は、奈良から出発して西へ向かって進行したことになるから、
五王の名乗りは
「高市・奈良県=武」
「河内・大阪府=興」
「倭済(イズミ)=泉州(イズミ)・大阪府=済」
「泉州・大坂府と紀州・和歌山県=珍」
「讃岐・香川県=讃」の順でなければならない。
なのに史実はその正反対に、
四国の名乗り
「大雀=阿波・讃岐」しかもたない倭王・讃=仁徳天皇が最も古く、
履中=倭王・珍が淡路島から大阪湾を越えて初めて対岸に入った、
という名乗りをもち、
以後の済興武の名乗りも現存する地名順に完全に一致して、
全て国生みと呼ぶに相応(ふさわ)しい
「大和朝廷誕生」への順序を完備し、
倭王がナラを確保した時期が、
武が上表した478年以後だったことを疑点を
残さず明白に記録している。
だから卑弥呼を奈良の女王だと主張する者は、
倭の五王を否定し、
大阪湾国生みを抹殺するだけの論拠を明示しなければならない。
我が国に保存されていた名詞文化財と伝承や出土品などの史実の記録は、
在来の学者が漠然と妄想していたような、
不完全かつ曖昧なものではなかったのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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