『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:26頁
津名はチヌだから天でもある。
その女王をジョオーと発音して
「照」を当て字した可能性もある。
その孫に当たるのは倭王・興か武である。
彼らは間違いなく奈良に侵入し、
高市郡や高田市一帯を所領に加えた。
確かに神勅にある「葦(ナラ)」を支配した天皇たちである。
しかし武は五王の一人として、
父祖の遺産である摂河泉と紀伊を受け継いだのではなかったか?。
いや彼だけが、
いったん失われたそれらの領土を、神勅どおりに奪い返しているのである。
このことは、これまでの講義録で到達した答を訂正させる。
それは武が初めて高市を取ったから武を名乗ったという部分である。
それは誤りで、
高市郡一帯を取ったのは、
高をコウへの当て字とした倭王・興だったからである。
そうでなければ神勅に「葦(ナラ)」が入っているはずがない。
そこはすでに武より先に誰かが領土に加えていた。
その先人とは名乗りの最後に最新の所領地を書く
倭の五王の名乗りの原則からみて、
高も興もどちらも「コウ」だから、
倭王・興でなければならない。
しかし彼はそれを奪われてしまった。
それを取り戻せというのが
『神勅』の真意であり命令だったのだと、
ここで今、はっきりわかったのである。
だからこそ武は、
高市を「コウチ」から「タケシ」に発音を変えた。
そして自分の名乗りに使う最新の領土名を、
強く勇壮な「武」の字を選んで「タケシ」と訓ませたのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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