『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:3頁
倭の五王の名乗りは五人ともほぼ共通しているが、
最後の一字だけが異なって、
讃、珍、済、興、武に分れているので、
在来はそれが個人名だとされてきたこと、
その一字も私たちの個人名とは違っていて、
新たな支配地名を用いた名乗りだったこと、
それがそれぞれどこを意味していたかなどは、
これまでにすでに精密に検討を済ませているから、
ここではその「個人用の名乗り」を、
さらに詳しく解読することから始める。
讃は漢字音のまま<サン>と読むという説と、
<讃>に該当するのは<仁徳天皇>で、
その名は<大雀>または大鶺鷯と書いて<オオサザキ>と読んできたし、
讃良皇女は<ササラ皇女>と読むから、
<ササ>と読むのだという説とに分れている。
どちらが正しいか?検討してみよう。
倭王・武の上表文を分析すると、
その視点が大分県北部の<宇佐>あたりにあったことが確認できている。
また四国東岸の徳島・香川両県は、古名が阿波・讃岐だから、
<アワ=淡=オオ>で<オオ・ササキ>とも読める。
だから<宇佐>から四国東岸までが<仁徳天皇>の
勢力圏だったことは間違いないことを、
すでに本講ではさらに他の多くの物証を加えて確かめてある。
またこの2地域の間に愛媛県に<大三島神社>があり、
その<祭神は大山祇の神>だが、
<オオ>は沖縄~大隅発音で<ウ>だから、
<大山祇>も<阿波・讃岐>も<ウサンギ>と読め、
<大三島>もウサシマと読める。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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