『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:11頁
『記・紀』はそのあと珍と讃が皇位を譲り合って、
どちらも即位せぬうちに珍が死んだと書いているが、
現実には珍は讃より前進して淡路島に入り、
そこを基地にして対岸の紀州を領土に加えている。
沖縄語は<キ>を<チ>と発音するから<チン国>は
関西語では<キノ国>になるからである。
だから宇遅能和紀郎子は<ウ=大=倭>、
<チノ=珍=津名十キノ=紀伊の国>、
<ワキ=稚=和歌山>という名乗りになり、
和歌山県が2重になってその足跡を明瞭に立証している。
宇佐や四国で自殺なんかしていないという名乗りなのだ。
このことは次の天皇・履中の名乗りでも立証されている。
その名乗りが<イサナキワケ>で、
皇后<イサナミ>と「国生み」をした神であることは
すでに詳しくお話しした。
<イサ>=伊勢、<ナ>は助詞または<奈良>、<キ=紀伊>、<ワケ=和歌山>。
奈良はおいても和歌山県だけでなく伊勢まで領土に加えている。
これは先行した珍がなければ、
『宋書』が記録した期間内では不可能な領土拡大である。
それを『記・紀』は<履中天皇>だけを<皇統>に入れている。
だからこれまで珍は履中だとしてきたが、
史実は宇遅能和紀郎子の生存と東征を証言しているのである。
この2人のどちらが祭られているにせよ、
その和歌山には足守神社がある。
これは<アモリ=天降り>で南九州語なのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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