2010年6月7日月曜日

何が史実を神話化させたか

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:27頁

倭王・興は『三国史記』では百済蓋鹵王と記録されていた。

彼はその巨大古墳築造事業が過激すぎて国家経済を破壊し、

そのために国を失ったことは、

拙者『誰が巨大古墳を作ったのか』

(KKロングセラーズ)でも詳しく解説してあるし、

本講でも『三国史記』を引いてお話しした。

その時失った旧傾こそ「豊葦原瑞穂の国」だったが、

それを奪ったのは高句麗・長寿王=敏達天皇である。

それを天照大神が

「あの国は私の子孫が王たるべき土地だ。

汝が行って取戻して治めよ」

と命じたのである。

だからそこに天降って天孫降臨を実現したのは

倭王・武=雄略天皇以外にない。

これが『天孫降臨』の真相で全て史実だったのである。

だから武が宋帝へ送った上表文=手紙は、

こうした背景の下に書かれた援助要請だった。

それまでの上表文とは非常に異なった、

父祖が辛苦して領土を得た状況を説明して悲憤し、

自ら臣下として助力を要請する内容は、

それを天皇家の史実とすることが恥じられて、

五王を天皇と認めない学者を生んだ。

しかしこうして当時の真相がわかってみると、

雄略天皇の上表は当然至極なことで何も恥じることなどない。

むしろ私意で歴史を曲げた者こそ恥ずかしい。

しかし『記・紀』を編纂した天武天皇たちも、

その編纂の目的が国域と天皇家の権威の誇張宣伝にあったから、

真実は書けず、神話化してごまかすしかなかったのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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