『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:27頁
倭王・興は『三国史記』では百済蓋鹵王と記録されていた。
彼はその巨大古墳築造事業が過激すぎて国家経済を破壊し、
そのために国を失ったことは、
拙者『誰が巨大古墳を作ったのか』
(KKロングセラーズ)でも詳しく解説してあるし、
本講でも『三国史記』を引いてお話しした。
その時失った旧傾こそ「豊葦原瑞穂の国」だったが、
それを奪ったのは高句麗・長寿王=敏達天皇である。
それを天照大神が
「あの国は私の子孫が王たるべき土地だ。
汝が行って取戻して治めよ」
と命じたのである。
だからそこに天降って天孫降臨を実現したのは
倭王・武=雄略天皇以外にない。
これが『天孫降臨』の真相で全て史実だったのである。
だから武が宋帝へ送った上表文=手紙は、
こうした背景の下に書かれた援助要請だった。
それまでの上表文とは非常に異なった、
父祖が辛苦して領土を得た状況を説明して悲憤し、
自ら臣下として助力を要請する内容は、
それを天皇家の史実とすることが恥じられて、
五王を天皇と認めない学者を生んだ。
しかしこうして当時の真相がわかってみると、
雄略天皇の上表は当然至極なことで何も恥じることなどない。
むしろ私意で歴史を曲げた者こそ恥ずかしい。
しかし『記・紀』を編纂した天武天皇たちも、
その編纂の目的が国域と天皇家の権威の誇張宣伝にあったから、
真実は書けず、神話化してごまかすしかなかったのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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