『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:4頁
ウサ・ウサギは哺乳類の兎で、
淡路島には<オサギ>と呼ぶ方言があることもご存知だ。
仁徳天皇の陵とされる
大阪府堺市の<大山陵>も<ウサン陵>で<兎の陵>だし、
それらを<御陵>と書いて<ミササギ>と読んできたが、
これも<オササギ⇒オサギ⇒ウサギ>である。
さらに朝鮮史とされている
『三国史記』には仁徳天皇と同時代の王が、
半島諸国の王として訥祇(新羅)・直支(腆支=百済)と書かれていて、
トッキ・トキ・テンキなどと発音されているが、
これは朝鮮語でやはり<ウサギ>を意味し、
南九州語でも<トッキョ>は<ウサギ>や<ムササビ>を意味するから、
新羅や百済でも仁徳を自国王として記録していたことがわかる。
倭の五王が用いている
百済、新羅の名乗りは決して架空のものではなかったことが、
これでも証明されているのである。
こうして<ウサギ>と発音されるこれらの兎の名の持ち主が、
全て仁徳天皇だったことは動かないが、
それは宇佐王が語源で、
単に発音が<ウサギ>に似ているだけなのであろうか?。
いや、語源はバーリ語なのである。
SaSa(ササ)は<ウサギ>のことなのだ。
だから<讃>とは地名からきた名乗りではなく、
仁徳天皇自身が本来もっていた個人名であり、
それは<ササ>と読まなければならないことがこれで確認された。
だから<オオササキ>とは、
倭(オオ)の讃(ササ・王キ)であり、
大隅発音で短縮されて、
初めて<倭ウ・讃サ・王ギ>という日本語が生まれたのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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