2010年6月21日月曜日

「宇遅の渡り」が象徴する日本の悲劇

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録09:13頁

それは5世紀の天皇たちが、国際人としても

一流だと宣伝するための加筆だとみないと、

史実の真相は、まるで見えなくなってしまうからである。

記事が史実でない部分は大山守が死んだ部分にもみられる。

そこは「宇遅の渡り」というところだったと書いてある。

<ウチノ>は<オオ・チヌ>で<倭・珍>であり、

淡道(オオ・チヌ)の、であり、

阿波(オオ)・津名(チヌ)だから、

徳島から淡路島へ渡る鳴門海峡には合うが、

そこを渡れずに死んだのは阿波と讃岐どまりだった

大雀・仁徳天皇のほうで大山守ではない。

大山守が敗死した史実の<大分>は、

その古音<オオキタ>。

これは沖縄音<ウチタ>だからこれに

<ウチ都>と当て字すると

<ウチツ>と読め、

<宇遅津>になる。

その「渡り」は愛媛へ渡る豊予海峡のことである。

こうした地名と名乗りの精密な比較検討法を知らずに、

<宇遅>を無理に<ウジ>と読み、

京都府の<宇治>だと思い込んでいた在来の日本史家たちの想像説が、

どれくらいお粗末だったか、申し上げるまでもないと思う。

だから本当に大和朝廷を生み出した淡路の偉大さがわからず、

「国生み」を蛮人なみの迷信に落して海外の歴史家を誤らせ、

世界の人々による日本人蔑視を助長したのである。

それだけでなく、今の朝鮮半島の一部の国にみるような、

極端な国家主義を支える道具として皇室を利用し、

史学を学問ではなくオウム真理教なみの迷信にしてしまったのだ

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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