2010年5月31日月曜日

墳型の様式や主体部の変化の真意

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:20頁

墳型という重大な様式を単なる官吏序列の表現とみるのは

官僚の自惚れと傲慢の現われで、

いまだに皇国史観がくすぶっている。

単一民族とか統一国家といったテーゼで

盲目になっているからとしか言いようがない。

『記・紀』が記録している官僚の序列表現は、

聖徳太子の偉業に数えられているほどに、

はるかに後世のもので、

統一朝廷さえ存在しない前期にそんな序列があるはずがない。

それは例えば神武天皇に抵抗した長髄(ながすね)彦のような先住民のもの、

完全な他部族の遺物と考えられないようでは、

少なくとも学者の中には入らない。

と思うのだが、いかがであろうか……。

「主体部の変化 前期後半になると主体部にも変化が現れる。

すなわち大型前方後円墳における石棺の採用と

中小古墳における粘土槨(かく)の出現である。

また、この時期には前方後円墳において、

前方部に埋葬施設が設けられる例も顕著になる」

というが、続く-「石棺の採用」-をみると

「前期後半のヤマトで、

調査により石棺の使用が確認されているのは櫛山古墳のみである」

「しかし佐紀古墳群西群の大型前方後円墳は石棺が使用されているようである。

佐紀石塚山古墳・宝来山古墳においては幕末の盗掘事件の詞書から

いずれにも

「亀の形二相成」とされる石棺が存在した記述があり、

佐紀陵山古墳には石棺の蓋のような屋根形石がある」。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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