『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:10頁
この<カツラ>・<カッラ>がさらに後世に「カラ」にまで短縮した。
それは言葉を短く短縮する著しい特徴をもつ南九州語の当然の結果だから、
<カラ>は南九州生まれだと断定して間違いない。
その証拠にこの郡域を見下ろす霧島連峰の最高峰は
「韓(カラ)国(くに)見岳」と命名されている。
この<カラ>は8世紀には唐の代名詞にもなる。
今でも唐の字を「カラ」と発音するが、
漢音は「トウ」で、
「カラ」は和訓だと誰でも知っている。
それで呼ぶのは8世紀当時の人々が、
唐政権の皇帝たちは<姶良人>の子孫だと、
知っていたからにほかならない。
私たちは隋・唐の皇帝が今の中国東北区(旧満洲)からの侵入者であり、
その前は高句麗人であり、
その母胎は沖縄から南九州に政権を拡大して行った姶良人だったことも知っている。
「カラ」という2字の名詞は短いが、これだけの内容をもつ凄い名詞だということを、
この際、改めて強く認識しておいていただきたい。
この事実をさらに証言するのもパーリ語である。
前回のパーリ語と日本籍の共通語と同様、中国語との共通語も多い。
唐人が姶良人の子孫だとわかった今は、それは不思議ではないが、
その共通語はほとんどが唐音であることも、
以上の事実を充分立証しているのである。
少し脱線気味だが「カラ」については最小限、
この程度の常識は欠かせないので特に付記した。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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