『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:19頁
この丹後の2という数字は、
先の用明天皇の名乗り
「橘=但馬国(タチバナ)」との関連を
思わせるが、時代差が大きくて直接の関係はない。
しかし一見、辺境に見えるこの地域が早くから重要な地域であり、
有力首長が派遣されていたことは、
但馬最大の盆地に豊岡という地名を残して、
橘豊日の名乗りを説明するように、
史実の復元には絶大なカをもっている。
こういう視点をもつことができれば、
次の古墳の形態分類とその分布も、
実に有力な史実の記録として、重大な証言をすることになる。
「ヤマトでの円墳と方墳の出現は前期の中葉から後半の現象で、
同時に前方後円墳は終焉に向かう。
方墳は出雲、丹後、三島地域などに前期後半から造られるがヤマトにはみられない」
という説明は、本講座でお馴染みの地域が、
特徴ある葬制をもつ勢力の支配下にあった事実を裏書きして、
言語だけによる復元を強力に補強してくれる快適なサンプルである。
「円墳は、比較的多く盆地各所に築造される」各地に
「実態が不明な円墳状のものがみられ、
前期前半の円墳の存在を否定するわけではない。
このような前期後半の円・方墳の出現は、
墳形に表示される規制とも捉えることができ、
墳形での明確な序列化がはじまったと考えられる」
と結論しているが、
これは統一大和朝廷だけしか考えられない人の説でしかない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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