『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:14頁
こうして『神勅』と「反正天皇の名乗り」を比較してみると、
そこに完全といっていい程の一致がみられるし、
名乗りのほうはさらに私たちの考古学知識と相乗して、
反正天皇政権移動後の革命的な経済発展まで明瞭に復元して見せてくれた。
なぜ世界最大の基である巨大古墳を始めとする古墳群が、
その名乗りの地域に林立することになったか?という理由まで、
はっきりと、かつ現実的に、詳細にわかるように立証しているのである。
名乗りが建国史の復元にどれはど重要な情報源であり、
重大な記録に満ちた真重な文化財であったか、
改めてはっきりとご確認いただけたと信じる。
また、これほど顕著な大変革を過去の発掘考古学者たちはどうみていたか。
せいぜいが、
大和朝廷の首都が河内へ移転したことによる変化ぐらいにしか感じていなかった。
文献史学の先覚者がそれを「河内王朝」と名付けても、
それが画期的な政権交替であるなどとは想像もしなかったのである。
国を滅ぼした軍国主義思想を戦後も頑(かた)くなに固守して、
正しい史観を非難し続けてきたその残滓が、
日本人を世界の異様な孤児にし、
グローバル化時代に物質面だけしか
適応できない厄介な障害者にしてしまっていた。
それがどれほど我々日本国民にとって許し難い犯罪であったか…、
すでに先覚者たちが厳しく判決を下し始めてはいるが…。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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