2010年5月1日土曜日

ギリシャ系海人の楽園・淡路と紀州

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:31頁

当時の淡路島は、

そうした先進文化の集中地域だった。

それは日本列島の中央を占めて、

しかも四方を海に囲まれた島で、

冬は地中海気候に似て暖かく、

夏は海に囲まれて涼しい。

地中海地方出身の人々にとっては、

故郷を思わせる素晴らしい島だった。

それだけでなく、

これまで見た例の日本語化したギリシャの神々は、

全て海神の一族ばかりだから命名者たちは

海人族だったことがわかる。

四方を囲む海は彼らにとって快適な交通路であり、

外部の敵から身を守ってくれ、

海外からの富を与えてくれる神そのものであった。

彼らは日本列島の中央に列島中で最適の島を見つけ、

そこで栄えて、

さらに実力を蓄えていったのである。

その珍の名乗りに合う初期の進出先・紀伊を見ると、

田辺市には芳養(ハヤ)という地域がある。

海を見下ろす浜辺にあるが港は別にある。

これは隼人の町で、

巴利からきた海人族の有力者の居住跡と考えていい。

田辺市は南方熊楠氏の住んだ所としても知られているが、

同氏の写真を見ると。

南九州に多い日本人離れしたギリシャ型の容貌をしておられる。

その博学もまたアリストテレスを思わせる頭脳の働きを見る。

海人族は海上を自在に移動して国境には制限されない。

珍の進出以前に列島の海岸沿いに広く土着していた。

神武東征が南紀に方向転換したというのもそのためだ。

そして珍と済は

和歌山に済の遺跡・隅田(スダ)八幡を残した。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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