2010年5月23日日曜日

パーリ語だった反正天皇の名乗り

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:12頁

彼は仁徳から3代目の反正天皇=倭王・済である。

先代履中天皇=倭王・珍がその名乗りの

チヌ=キノ=紀伊の国・和歌山を取ったのに続いて

北の大阪府へ入り、そこが倭済(イズミ)=和泉の国と呼ばれることになった。

フルネームは多遅比瑞歯別。

タジヒは大隅語でタジーであって、当て字は田尻。

いま大阪府泉南郡にある田尻町が彼の重要拠点だったことを物語っている。

この田尻が名乗りの筆頭にくる理由は彼が淡路島からやってきたからである。

淡路島には上田尻と下田尻に分かれた広大な田尻地区があるから、

そこが若き日の彼の所領地だった。

そして海を越えた対岸に田尻ができたことは、

そこが彼の最初の橋頭堡だったことを示している。

そのため名乗りの筆頭にタジー=多遅比がくるのである。

では大隅語のタジーとは何のことだったのか?。

文字でいけば田の尻だが、田はどちらが頭で、

どちらが尻というものではないから単なる当て字にすぎない。

それは大隅語だから意味不明の言葉はパーリ語である可能性が高い。

パーリ語にはtha-li・ターリという言葉がある。

南九州語は「リ」を「ジ」と発音するからターリはタージになる。

これは土器のことで、和泉が古墳時代に、

全国でも類を見ない巨大な土器産業の中心地であったことと密接に一致している。

反正天皇は間違いなくパーリ語を名乗っていたのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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