『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:11頁
これで「原」は「カラ」であり、
当時は「国を意味する代名詞」だったことがわかった。
「豊葦原」とは「豊=大阪」から「葦=奈良」への、
後の大和朝廷圏の「国々=原」を指していたのである。
だからこの<原>は、もう、それを独立した国名として探す必要はない。
では残る瑞穂の国とはどんな意味で、何処を指していたのであろうか?。
かつてはそれは
「豊かな葦の生えた原野の、開墾すればやがて豊かに稲が実るであろう国」
という漠然とした、
温帯ならどこにでもある地域を表現していると説明されてきた。
だが以上の検討で、「豊葦原」とは厳然とした「大阪・奈良圏」という、
後の首都圏だと確認できてみると、
「やがて豊かに稲が実るであろう国」などという、
いい加減な説明では事は納まらない。
なぜならそれは地域を挙げて明示する「名乗り」と同じものなのだから、
当然、厳然として実在する重要な地域を表現した「固有名詞」なのだからである。
その地域がどこにあるかも、すでに「大阪・奈良圏」がわかっているから、
それと一体になった地域であることは常識だ。
しかしその周辺を探す前に、もう少し考えておくことがある。
それはこの「瑞穂の国」もまた「名乗り」と同じものだということである。
この「瑞穂」とよく似た名乗りをもった五王の一人がいる。
「瑞歯別の天皇」である。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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