『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:4頁
百済はポセイから沖縄語のフジに変わり、
それまで「百・豊・日・火・穂」とホに対する当て字にしてきたものを、
フ・プと発音することになった。
その最も有力な動かぬ証拠は、豊は漢音ホウだが、
豊前・豊後は「プ」と発音するので沖縄語系の人たちの用語だとわかる。
このフ音のお蔭で豊前・豊後が卑弥呼時代に九州に存在したことも
『魏書倭人章』の国名で立証できる。
不弥国は豊前でフミェ(ミェは前(まえ)の北九州訛り)への当て字。
不呼国はフゴ国で豊後国(プンゴはフのゴ)、フゴへの当て字だから、
一対になって完全に揃っている。
いうまでもなくこの二国は今の大分県を構成しているが、
ついでにいえばカールグレンの漢魏音では
不呼はピューグァで日向も意味しているから、
3世紀当時は宮崎県までが不呼国だったのである。
すると当時はすでに我が国では漢字は今の発音と同じ使い方がされていたこと、
漢や魏の人とは筆談はできても会話はできず、通訳が必要だったことまでわかる。
この大分県は、宇佐八幡が象徴する宇佐王(ウサギ)仁徳天皇=讃の出発点だった。
その先代・応神天皇は大隅正八幡のある鹿児島県の隼人町に遺跡を残し、
彼の母は豊玉姫の名に豊の女王の名を明かにしている。
こう比較してみると大隅は「倭住み=オオスミ」に読め、
大分(古音=オホギタ)は「倭来た、または倭北」と読め、一連の豊の国だとわかる。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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