『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:9頁
<カラ>が日本語だという証拠は、
それが日本生まれだという事実を私たちが知っているからだが、
お忘れの方もあると思うので軽くおさらいしておこう。
その語源は、釋迦が王子として生まれた城市・<カピラ>である。
この名が巴利国の隼人町一帯の地名として定着していたから
姶良(カヒラ⇒アイラ)という当て字が今も郡名として残っている。
この「姶」の字には多くの意味が含まれている。
単に「合」だけをカヒに使えばいいものを、
わざわざ「女」偏をつけたのは、
そこが女王国の首都だったためだし、
「合」の字が和訓で「アイ」と読まれるのも、
卑弥呼の名「愛・アイ」からきている。
姶良は「愛(アイ)女王の国(ラ)」なのである。
しかし卑弥呼政権の崩壊後はそうしたことは、
新来者たちには忘れられてしまい、
<姶良>も<カッラ>と発音されて「葛・カツラ」の字があてられ、
その首都は<葛城>・<カツラギ>と呼ばれた時代がある。
この葛城姓は今も現存し、
葛城襲津(ソツ)彦の「襲津彦」は、
襲の王を意味するから、
今も「襲の山」という地名があるこの地域の、
統治者時代の名乗りだと完全に理解できる。
奈良県の葛城山は、
それよりはるかに後世に、
大隈人が奈良県下に入った後の命名であって、
襲津彦が奈良にいたのなら奈良彦と名乗らねばならない。
これは『名乗り学』の初歩の人にでもわかる単純な原則である。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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