『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:5頁
仁徳天皇は倭の五王の初代・讃で、
一代で阿波(大(オホ)=倭=徳島県)と
讃岐(サヌキ)(雀(サザキ)=香川県)まで取り、
四国の末端に達した。
その後を継いだ四王が淡路島から和歌山県に渡り、
次第に大阪府の南部を、
和泉、河内の順に取ったことが、
その名乗りで明瞭にわかっている。
そして用明天皇の名乗り「橘の豊日」と、
孝徳天皇の名乗り「天萬豊日」とに、
「豊」がまた重ねて出てくる。
橘の豊日とは「但馬国=タチバナ」「豊日国=トヨシマ」で、
「天萬豊日」とは「天満=テンマ=大阪市」。
「トヨシマ=豊島郡=大阪府の北部平野部」を指し、
河内の大半が水没していた当時の大阪府を考えると、
豊島郡が政治経済の中心地だったから、
そこに豊の字がついているのは、
至極、妥当な命名だといわねばならない。
ただし、倭の五王たちがそこまで取ったとは考えられない。
それは孝徳天皇の時代は二百年以上あとだし、
用明天皇も高句麗王名は広開土王の欽明天皇の孫であり、
その父・敏達天皇は
これまた超長期政権で知られる高句麗王名・長寿王だから、
倭の五王とは反対派で全く無関係である。
しかし豊葦原瑞穂の国の「豊」が
以上の豊の国のいずれかを指していることは間違いない。
これで筆頭の豊が名乗りと同じ性格の主要国名だと確認できたのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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