『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:20頁
墳型という重大な様式を単なる官吏序列の表現とみるのは
官僚の自惚れと傲慢の現われで、
いまだに皇国史観がくすぶっている。
単一民族とか統一国家といったテーゼで
盲目になっているからとしか言いようがない。
『記・紀』が記録している官僚の序列表現は、
聖徳太子の偉業に数えられているほどに、
はるかに後世のもので、
統一朝廷さえ存在しない前期にそんな序列があるはずがない。
それは例えば神武天皇に抵抗した長髄(ながすね)彦のような先住民のもの、
完全な他部族の遺物と考えられないようでは、
少なくとも学者の中には入らない。
と思うのだが、いかがであろうか……。
「主体部の変化 前期後半になると主体部にも変化が現れる。
すなわち大型前方後円墳における石棺の採用と
中小古墳における粘土槨(かく)の出現である。
また、この時期には前方後円墳において、
前方部に埋葬施設が設けられる例も顕著になる」
というが、続く-「石棺の採用」-をみると
「前期後半のヤマトで、
調査により石棺の使用が確認されているのは櫛山古墳のみである」
「しかし佐紀古墳群西群の大型前方後円墳は石棺が使用されているようである。
佐紀石塚山古墳・宝来山古墳においては幕末の盗掘事件の詞書から
いずれにも
「亀の形二相成」とされる石棺が存在した記述があり、
佐紀陵山古墳には石棺の蓋のような屋根形石がある」。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2010年5月31日月曜日
2010年5月30日日曜日
首長派遣や勢力分布を示す遺物「古墳」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:19頁
この丹後の2という数字は、
先の用明天皇の名乗り
「橘=但馬国(タチバナ)」との関連を
思わせるが、時代差が大きくて直接の関係はない。
しかし一見、辺境に見えるこの地域が早くから重要な地域であり、
有力首長が派遣されていたことは、
但馬最大の盆地に豊岡という地名を残して、
橘豊日の名乗りを説明するように、
史実の復元には絶大なカをもっている。
こういう視点をもつことができれば、
次の古墳の形態分類とその分布も、
実に有力な史実の記録として、重大な証言をすることになる。
「ヤマトでの円墳と方墳の出現は前期の中葉から後半の現象で、
同時に前方後円墳は終焉に向かう。
方墳は出雲、丹後、三島地域などに前期後半から造られるがヤマトにはみられない」
という説明は、本講座でお馴染みの地域が、
特徴ある葬制をもつ勢力の支配下にあった事実を裏書きして、
言語だけによる復元を強力に補強してくれる快適なサンプルである。
「円墳は、比較的多く盆地各所に築造される」各地に
「実態が不明な円墳状のものがみられ、
前期前半の円墳の存在を否定するわけではない。
このような前期後半の円・方墳の出現は、
墳形に表示される規制とも捉えることができ、
墳形での明確な序列化がはじまったと考えられる」
と結論しているが、
これは統一大和朝廷だけしか考えられない人の説でしかない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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この丹後の2という数字は、
先の用明天皇の名乗り
「橘=但馬国(タチバナ)」との関連を
思わせるが、時代差が大きくて直接の関係はない。
しかし一見、辺境に見えるこの地域が早くから重要な地域であり、
有力首長が派遣されていたことは、
但馬最大の盆地に豊岡という地名を残して、
橘豊日の名乗りを説明するように、
史実の復元には絶大なカをもっている。
こういう視点をもつことができれば、
次の古墳の形態分類とその分布も、
実に有力な史実の記録として、重大な証言をすることになる。
「ヤマトでの円墳と方墳の出現は前期の中葉から後半の現象で、
同時に前方後円墳は終焉に向かう。
方墳は出雲、丹後、三島地域などに前期後半から造られるがヤマトにはみられない」
という説明は、本講座でお馴染みの地域が、
特徴ある葬制をもつ勢力の支配下にあった事実を裏書きして、
言語だけによる復元を強力に補強してくれる快適なサンプルである。
「円墳は、比較的多く盆地各所に築造される」各地に
「実態が不明な円墳状のものがみられ、
前期前半の円墳の存在を否定するわけではない。
このような前期後半の円・方墳の出現は、
墳形に表示される規制とも捉えることができ、
墳形での明確な序列化がはじまったと考えられる」
と結論しているが、
これは統一大和朝廷だけしか考えられない人の説でしかない。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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2010年5月29日土曜日
前期後半の大型前方後円墳の変遷
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:18頁
その表題でご想像がつくように、
展示物は図録・図鑑でよくご存じのものが大半である。
ただ、それが今向のようなテーマで選別されて集められたことは、
過ってなかった。
在来は、それらが当然のように、
大和朝廷の実在を示す遺物として
天平文化にまで続く一連の文物、
天皇独裁、万世一系の父子相続を証明する証拠物件として
疑わなかったからである。
しかし真実でないものは必ず挫折する。
信頼が深ければ深いはど、その崩壊は救いようがなくなる。
そのときフランス革命の悲劇のように、
罪なき者も真に価値あるものも巻き添えをくって抹殺されてしまう。
私たちはそれを最も恐れるのである。
本題から逸れるので関連牲の強いものだけ簡単に展示の説明をしてみよう。
「大型前方後円墳の変遷」は大半が陵墓に指定されていて調査比較ができない。
そこで墳丘測量図が展示されている。
その特徴は墳丘部が段々に積み重ねた形になっていることであるが、
それが時代とともに高さを増して、
2段から3段になり、3段が定型の河内古市古墳群につながる。
大きさは
渋谷向山302m、
五社神276m、
宝来山226m、
佐紀石塚山220m、
佐紀陵山208m、
津堂城山208m、
巣山204、
摩湯山200m、
網野銚子山195m、
島の山195m、
五色塚194m、
神明山194mで、
これら同時代の200m級の大型前方後円墳の分布は、
古市1、和泉1、播磨1、丹後2で、奈良が7である。
『参考』
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その表題でご想像がつくように、
展示物は図録・図鑑でよくご存じのものが大半である。
ただ、それが今向のようなテーマで選別されて集められたことは、
過ってなかった。
在来は、それらが当然のように、
大和朝廷の実在を示す遺物として
天平文化にまで続く一連の文物、
天皇独裁、万世一系の父子相続を証明する証拠物件として
疑わなかったからである。
しかし真実でないものは必ず挫折する。
信頼が深ければ深いはど、その崩壊は救いようがなくなる。
そのときフランス革命の悲劇のように、
罪なき者も真に価値あるものも巻き添えをくって抹殺されてしまう。
私たちはそれを最も恐れるのである。
本題から逸れるので関連牲の強いものだけ簡単に展示の説明をしてみよう。
「大型前方後円墳の変遷」は大半が陵墓に指定されていて調査比較ができない。
そこで墳丘測量図が展示されている。
その特徴は墳丘部が段々に積み重ねた形になっていることであるが、
それが時代とともに高さを増して、
2段から3段になり、3段が定型の河内古市古墳群につながる。
大きさは
渋谷向山302m、
五社神276m、
宝来山226m、
佐紀石塚山220m、
佐紀陵山208m、
津堂城山208m、
巣山204、
摩湯山200m、
網野銚子山195m、
島の山195m、
五色塚194m、
神明山194mで、
これら同時代の200m級の大型前方後円墳の分布は、
古市1、和泉1、播磨1、丹後2で、奈良が7である。
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2010年5月28日金曜日
政権交替を立証する展示内容
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:17頁
河上館長の表現は遠慮勝ちだが古い体質の考古学界では、
実に勇気のいる大決断だ。
改めて敬意を表したい。
因習に囚われず真実に眼を開いた人たちがいること。
しかも過去最悪のナショナリズム拠点・橿原でという事実は、
祖霊の実在と勇気づけのようにさえ思えた。
だがそれにも増して嬉しいのは、
今回の『政権交替』の展示物がすべて、
私たちがこれまで発見し続けてきた史実を裏書きしていることである。
展示内容は
Ⅰ 墳型・埋葬施政の変化 ① 前期後半の大型前方後円墳の変遷
② ヤマトに於ける円・方墳の出現
③ 主体部の変化
Ⅱ 副葬品の新要素 ① 前期後半の鏡
② 武器・武具
③ 製品の変化
④ 特異な文物
Ⅲ 器材埴輪の成立 ① 器材埴輪の構成とその配置
② 器材埴輪
③ 家型埴輪
Ⅳ ヤマト、前期後半の変動…そして河内へ
① 古墳時代前期後半のヤマト
② 河内へ一津堂城山古墳
Ⅴ 前期後半の威儀具の形象 ① 簡型右製品
② 琴柱型石製品
③ 董型石製品
といったものである。
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河上館長の表現は遠慮勝ちだが古い体質の考古学界では、
実に勇気のいる大決断だ。
改めて敬意を表したい。
因習に囚われず真実に眼を開いた人たちがいること。
しかも過去最悪のナショナリズム拠点・橿原でという事実は、
祖霊の実在と勇気づけのようにさえ思えた。
だがそれにも増して嬉しいのは、
今回の『政権交替』の展示物がすべて、
私たちがこれまで発見し続けてきた史実を裏書きしていることである。
展示内容は
Ⅰ 墳型・埋葬施政の変化 ① 前期後半の大型前方後円墳の変遷
② ヤマトに於ける円・方墳の出現
③ 主体部の変化
Ⅱ 副葬品の新要素 ① 前期後半の鏡
② 武器・武具
③ 製品の変化
④ 特異な文物
Ⅲ 器材埴輪の成立 ① 器材埴輪の構成とその配置
② 器材埴輪
③ 家型埴輪
Ⅳ ヤマト、前期後半の変動…そして河内へ
① 古墳時代前期後半のヤマト
② 河内へ一津堂城山古墳
Ⅴ 前期後半の威儀具の形象 ① 簡型右製品
② 琴柱型石製品
③ 董型石製品
といったものである。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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2010年5月27日木曜日
やっと私たちに追随し始めた考古学界
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:16頁
同館長はさらにいう。
「そして4世紀末までの期間を前期古墳の時代としています。
この時代は大和政権が部族国家から脱して統一国家へと発展していく時期であります」
4世紀末までは大和政権は部族国家に過ぎなかったというのである。
なぜなら今回の展示が示すように、その期間の出土品は貧弱で、
とても統一国家の首都の面影もないからなのである。
そして館長はこう続ける。
「そして前期の後半から末、この政権の内部が変質するようです。
新しい段階に入るための摸索の時期であるのでしょう。
これを「政権交替」という言葉で言い表すのが妥当か否かはともかく、
大きな変化が見られるようになります。今回の展示はこの変化を捉えようとしています」
館長は、その大変化を「政権内部に生じた変質」だと想像しているので、
それを「政権交替」と言いきるのはどうかと迷っているが、
私たちはもう早くから、
奈良県にあった政権が次々に外圧に潰されては交替して行った事実を知っている。
それを頑強に否定し続けてきた考古学界の重鎮が、
今やっと『政権交替』を看板にする所まで追随してきたのは痛快である。
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同館長はさらにいう。
「そして4世紀末までの期間を前期古墳の時代としています。
この時代は大和政権が部族国家から脱して統一国家へと発展していく時期であります」
4世紀末までは大和政権は部族国家に過ぎなかったというのである。
なぜなら今回の展示が示すように、その期間の出土品は貧弱で、
とても統一国家の首都の面影もないからなのである。
そして館長はこう続ける。
「そして前期の後半から末、この政権の内部が変質するようです。
新しい段階に入るための摸索の時期であるのでしょう。
これを「政権交替」という言葉で言い表すのが妥当か否かはともかく、
大きな変化が見られるようになります。今回の展示はこの変化を捉えようとしています」
館長は、その大変化を「政権内部に生じた変質」だと想像しているので、
それを「政権交替」と言いきるのはどうかと迷っているが、
私たちはもう早くから、
奈良県にあった政権が次々に外圧に潰されては交替して行った事実を知っている。
それを頑強に否定し続けてきた考古学界の重鎮が、
今やっと『政権交替』を看板にする所まで追随してきたのは痛快である。
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2010年5月26日水曜日
考古学界の大変身?ヤマト『政権交替』展!
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:15頁
だが、私たちの努力は無駄ではなかった。
いま奈良県立・橿原考古学研究所の博物館では秋季特別展を開いているが、
そのタイトルは、なんと!
『政権交替』-古墳時代前期後半のヤマト-である(2002/11/24)。
その図録の巻頭で河上邦彦館長はこう述べている。
「最近の研究では大和政権が3世紀初め頃に成立したと考えています」。
戦前は、神武天皇が紀元前660年に即位して大和政権を創始した聖地として、
太平洋戦争に一役買った橿原市だったが、
戦後から近年まではそれが訂正されて紀元前後に即位したことになっていた。
それが今また、さらに変更されて
「3世紀初め頃に成立した」と信じているというのである。
だとすればこれは2世紀から3世紀にかけて
実在したことの確かな卑弥呼は大和政権とは
無関係だという宣言なのである。
卑弥呼は神武天皇の子孫、孝霊天皇の皇女で、
『記・紀』では倭迩迩日百襲姫というのがその名乗りとされ、
その墓は同考古学研究所が担当する地域にある「箸基古墳」だとされてきた。
これもまた、すべてが否定されてしまうのである。
それ以上に神武天皇の存在そのものが否定されている。
近鉄・橿原神宮前駅の近くにある同研究所が、
隣接する橿原神宮と畝傍陵の存在まで否定してしまったのである。
『参考』
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だが、私たちの努力は無駄ではなかった。
いま奈良県立・橿原考古学研究所の博物館では秋季特別展を開いているが、
そのタイトルは、なんと!
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その図録の巻頭で河上邦彦館長はこう述べている。
「最近の研究では大和政権が3世紀初め頃に成立したと考えています」。
戦前は、神武天皇が紀元前660年に即位して大和政権を創始した聖地として、
太平洋戦争に一役買った橿原市だったが、
戦後から近年まではそれが訂正されて紀元前後に即位したことになっていた。
それが今また、さらに変更されて
「3世紀初め頃に成立した」と信じているというのである。
だとすればこれは2世紀から3世紀にかけて
実在したことの確かな卑弥呼は大和政権とは
無関係だという宣言なのである。
卑弥呼は神武天皇の子孫、孝霊天皇の皇女で、
『記・紀』では倭迩迩日百襲姫というのがその名乗りとされ、
その墓は同考古学研究所が担当する地域にある「箸基古墳」だとされてきた。
これもまた、すべてが否定されてしまうのである。
それ以上に神武天皇の存在そのものが否定されている。
近鉄・橿原神宮前駅の近くにある同研究所が、
隣接する橿原神宮と畝傍陵の存在まで否定してしまったのである。
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2010年5月25日火曜日
改めて確認された「名乗り」の真価
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:14頁
こうして『神勅』と「反正天皇の名乗り」を比較してみると、
そこに完全といっていい程の一致がみられるし、
名乗りのほうはさらに私たちの考古学知識と相乗して、
反正天皇政権移動後の革命的な経済発展まで明瞭に復元して見せてくれた。
なぜ世界最大の基である巨大古墳を始めとする古墳群が、
その名乗りの地域に林立することになったか?という理由まで、
はっきりと、かつ現実的に、詳細にわかるように立証しているのである。
名乗りが建国史の復元にどれはど重要な情報源であり、
重大な記録に満ちた真重な文化財であったか、
改めてはっきりとご確認いただけたと信じる。
また、これほど顕著な大変革を過去の発掘考古学者たちはどうみていたか。
せいぜいが、
大和朝廷の首都が河内へ移転したことによる変化ぐらいにしか感じていなかった。
文献史学の先覚者がそれを「河内王朝」と名付けても、
それが画期的な政権交替であるなどとは想像もしなかったのである。
国を滅ぼした軍国主義思想を戦後も頑(かた)くなに固守して、
正しい史観を非難し続けてきたその残滓が、
日本人を世界の異様な孤児にし、
グローバル化時代に物質面だけしか
適応できない厄介な障害者にしてしまっていた。
それがどれほど我々日本国民にとって許し難い犯罪であったか…、
すでに先覚者たちが厳しく判決を下し始めてはいるが…。
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こうして『神勅』と「反正天皇の名乗り」を比較してみると、
そこに完全といっていい程の一致がみられるし、
名乗りのほうはさらに私たちの考古学知識と相乗して、
反正天皇政権移動後の革命的な経済発展まで明瞭に復元して見せてくれた。
なぜ世界最大の基である巨大古墳を始めとする古墳群が、
その名乗りの地域に林立することになったか?という理由まで、
はっきりと、かつ現実的に、詳細にわかるように立証しているのである。
名乗りが建国史の復元にどれはど重要な情報源であり、
重大な記録に満ちた真重な文化財であったか、
改めてはっきりとご確認いただけたと信じる。
また、これほど顕著な大変革を過去の発掘考古学者たちはどうみていたか。
せいぜいが、
大和朝廷の首都が河内へ移転したことによる変化ぐらいにしか感じていなかった。
文献史学の先覚者がそれを「河内王朝」と名付けても、
それが画期的な政権交替であるなどとは想像もしなかったのである。
国を滅ぼした軍国主義思想を戦後も頑(かた)くなに固守して、
正しい史観を非難し続けてきたその残滓が、
日本人を世界の異様な孤児にし、
グローバル化時代に物質面だけしか
適応できない厄介な障害者にしてしまっていた。
それがどれほど我々日本国民にとって許し難い犯罪であったか…、
すでに先覚者たちが厳しく判決を下し始めてはいるが…。
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『メソポタミア世界』
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2010年5月24日月曜日
反正天皇の名乗りが復元した史実
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:13頁
ここまでくると、<瑞歯>と<瑞穂>の違いが、
<ホ音>を使わない沖縄語系の大隅語では、
<ミズホ>は<ミズファ>に変化するから、
当て字として<瑞歯>が使われたことがわかる。
ではこれらの名詞の語源になったのは一体どこにあった土地だろう?。
これまでの知識を活かしてみよう。
泉州には有名な水間観音がある。
<ミズマ>は沖縄~大隅発音では濁音化して<ミズバ>になる。
また<ミズマ>と発音する地名は福岡県にも<三瀦>がある。
ここは『魏書倭人章』の奴国のあたりだから
不弥国=豊前や不呼国=豊後に隣りあっている。
宇佐八幡系勢力とともに大移動しても不思議ではない。
これと同じことは土器にもいえる。
倭の五王時代に泉州を中心に大工業地帯化した土器は、
それまでの軟弱な土器とは比較にならない
固焼きの、進化した須恵(すえ)器であるが、
その学名は福岡の須恵に語源がある通り、
北部九州に起源をもつ、当時のハイテク新製品だった。
それがタジヒという名乗りの語源なのだから移入者は反正天皇なのである。
これで神勅が掲げた目標地点は精密に確認できた。
それは大阪府の北部から奈良を経由して大阪府南部こ至っている。
この考証を助けた反正天皇の名乗りには、
この他にまだ和歌山も入っている。
瑞歯別の「別」は在来の常識では<ワケ>と読んだが、
<ワカれる>と読めば<ワカ>=和歌。
<水間>に続くその位置と履中から受け継いだ名乗りだから、
単なる男性語尾ではない。
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ここまでくると、<瑞歯>と<瑞穂>の違いが、
<ホ音>を使わない沖縄語系の大隅語では、
<ミズホ>は<ミズファ>に変化するから、
当て字として<瑞歯>が使われたことがわかる。
ではこれらの名詞の語源になったのは一体どこにあった土地だろう?。
これまでの知識を活かしてみよう。
泉州には有名な水間観音がある。
<ミズマ>は沖縄~大隅発音では濁音化して<ミズバ>になる。
また<ミズマ>と発音する地名は福岡県にも<三瀦>がある。
ここは『魏書倭人章』の奴国のあたりだから
不弥国=豊前や不呼国=豊後に隣りあっている。
宇佐八幡系勢力とともに大移動しても不思議ではない。
これと同じことは土器にもいえる。
倭の五王時代に泉州を中心に大工業地帯化した土器は、
それまでの軟弱な土器とは比較にならない
固焼きの、進化した須恵(すえ)器であるが、
その学名は福岡の須恵に語源がある通り、
北部九州に起源をもつ、当時のハイテク新製品だった。
それがタジヒという名乗りの語源なのだから移入者は反正天皇なのである。
これで神勅が掲げた目標地点は精密に確認できた。
それは大阪府の北部から奈良を経由して大阪府南部こ至っている。
この考証を助けた反正天皇の名乗りには、
この他にまだ和歌山も入っている。
瑞歯別の「別」は在来の常識では<ワケ>と読んだが、
<ワカれる>と読めば<ワカ>=和歌。
<水間>に続くその位置と履中から受け継いだ名乗りだから、
単なる男性語尾ではない。
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2010年5月23日日曜日
パーリ語だった反正天皇の名乗り
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:12頁
彼は仁徳から3代目の反正天皇=倭王・済である。
先代履中天皇=倭王・珍がその名乗りの
チヌ=キノ=紀伊の国・和歌山を取ったのに続いて
北の大阪府へ入り、そこが倭済(イズミ)=和泉の国と呼ばれることになった。
フルネームは多遅比瑞歯別。
タジヒは大隅語でタジーであって、当て字は田尻。
いま大阪府泉南郡にある田尻町が彼の重要拠点だったことを物語っている。
この田尻が名乗りの筆頭にくる理由は彼が淡路島からやってきたからである。
淡路島には上田尻と下田尻に分かれた広大な田尻地区があるから、
そこが若き日の彼の所領地だった。
そして海を越えた対岸に田尻ができたことは、
そこが彼の最初の橋頭堡だったことを示している。
そのため名乗りの筆頭にタジー=多遅比がくるのである。
では大隅語のタジーとは何のことだったのか?。
文字でいけば田の尻だが、田はどちらが頭で、
どちらが尻というものではないから単なる当て字にすぎない。
それは大隅語だから意味不明の言葉はパーリ語である可能性が高い。
パーリ語にはtha-li・ターリという言葉がある。
南九州語は「リ」を「ジ」と発音するからターリはタージになる。
これは土器のことで、和泉が古墳時代に、
全国でも類を見ない巨大な土器産業の中心地であったことと密接に一致している。
反正天皇は間違いなくパーリ語を名乗っていたのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
彼は仁徳から3代目の反正天皇=倭王・済である。
先代履中天皇=倭王・珍がその名乗りの
チヌ=キノ=紀伊の国・和歌山を取ったのに続いて
北の大阪府へ入り、そこが倭済(イズミ)=和泉の国と呼ばれることになった。
フルネームは多遅比瑞歯別。
タジヒは大隅語でタジーであって、当て字は田尻。
いま大阪府泉南郡にある田尻町が彼の重要拠点だったことを物語っている。
この田尻が名乗りの筆頭にくる理由は彼が淡路島からやってきたからである。
淡路島には上田尻と下田尻に分かれた広大な田尻地区があるから、
そこが若き日の彼の所領地だった。
そして海を越えた対岸に田尻ができたことは、
そこが彼の最初の橋頭堡だったことを示している。
そのため名乗りの筆頭にタジー=多遅比がくるのである。
では大隅語のタジーとは何のことだったのか?。
文字でいけば田の尻だが、田はどちらが頭で、
どちらが尻というものではないから単なる当て字にすぎない。
それは大隅語だから意味不明の言葉はパーリ語である可能性が高い。
パーリ語にはtha-li・ターリという言葉がある。
南九州語は「リ」を「ジ」と発音するからターリはタージになる。
これは土器のことで、和泉が古墳時代に、
全国でも類を見ない巨大な土器産業の中心地であったことと密接に一致している。
反正天皇は間違いなくパーリ語を名乗っていたのである。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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古代史の画像
2010年5月22日土曜日
豊葦原の領域と「瑞穂の国」捜査のヒント
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:11頁
これで「原」は「カラ」であり、
当時は「国を意味する代名詞」だったことがわかった。
「豊葦原」とは「豊=大阪」から「葦=奈良」への、
後の大和朝廷圏の「国々=原」を指していたのである。
だからこの<原>は、もう、それを独立した国名として探す必要はない。
では残る瑞穂の国とはどんな意味で、何処を指していたのであろうか?。
かつてはそれは
「豊かな葦の生えた原野の、開墾すればやがて豊かに稲が実るであろう国」
という漠然とした、
温帯ならどこにでもある地域を表現していると説明されてきた。
だが以上の検討で、「豊葦原」とは厳然とした「大阪・奈良圏」という、
後の首都圏だと確認できてみると、
「やがて豊かに稲が実るであろう国」などという、
いい加減な説明では事は納まらない。
なぜならそれは地域を挙げて明示する「名乗り」と同じものなのだから、
当然、厳然として実在する重要な地域を表現した「固有名詞」なのだからである。
その地域がどこにあるかも、すでに「大阪・奈良圏」がわかっているから、
それと一体になった地域であることは常識だ。
しかしその周辺を探す前に、もう少し考えておくことがある。
それはこの「瑞穂の国」もまた「名乗り」と同じものだということである。
この「瑞穂」とよく似た名乗りをもった五王の一人がいる。
「瑞歯別の天皇」である。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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これで「原」は「カラ」であり、
当時は「国を意味する代名詞」だったことがわかった。
「豊葦原」とは「豊=大阪」から「葦=奈良」への、
後の大和朝廷圏の「国々=原」を指していたのである。
だからこの<原>は、もう、それを独立した国名として探す必要はない。
では残る瑞穂の国とはどんな意味で、何処を指していたのであろうか?。
かつてはそれは
「豊かな葦の生えた原野の、開墾すればやがて豊かに稲が実るであろう国」
という漠然とした、
温帯ならどこにでもある地域を表現していると説明されてきた。
だが以上の検討で、「豊葦原」とは厳然とした「大阪・奈良圏」という、
後の首都圏だと確認できてみると、
「やがて豊かに稲が実るであろう国」などという、
いい加減な説明では事は納まらない。
なぜならそれは地域を挙げて明示する「名乗り」と同じものなのだから、
当然、厳然として実在する重要な地域を表現した「固有名詞」なのだからである。
その地域がどこにあるかも、すでに「大阪・奈良圏」がわかっているから、
それと一体になった地域であることは常識だ。
しかしその周辺を探す前に、もう少し考えておくことがある。
それはこの「瑞穂の国」もまた「名乗り」と同じものだということである。
この「瑞穂」とよく似た名乗りをもった五王の一人がいる。
「瑞歯別の天皇」である。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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古代史の画像
2010年5月21日金曜日
「カラ」も唐の皇帝も姶良生まれ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:10頁
この<カツラ>・<カッラ>がさらに後世に「カラ」にまで短縮した。
それは言葉を短く短縮する著しい特徴をもつ南九州語の当然の結果だから、
<カラ>は南九州生まれだと断定して間違いない。
その証拠にこの郡域を見下ろす霧島連峰の最高峰は
「韓(カラ)国(くに)見岳」と命名されている。
この<カラ>は8世紀には唐の代名詞にもなる。
今でも唐の字を「カラ」と発音するが、
漢音は「トウ」で、
「カラ」は和訓だと誰でも知っている。
それで呼ぶのは8世紀当時の人々が、
唐政権の皇帝たちは<姶良人>の子孫だと、
知っていたからにほかならない。
私たちは隋・唐の皇帝が今の中国東北区(旧満洲)からの侵入者であり、
その前は高句麗人であり、
その母胎は沖縄から南九州に政権を拡大して行った姶良人だったことも知っている。
「カラ」という2字の名詞は短いが、これだけの内容をもつ凄い名詞だということを、
この際、改めて強く認識しておいていただきたい。
この事実をさらに証言するのもパーリ語である。
前回のパーリ語と日本籍の共通語と同様、中国語との共通語も多い。
唐人が姶良人の子孫だとわかった今は、それは不思議ではないが、
その共通語はほとんどが唐音であることも、
以上の事実を充分立証しているのである。
少し脱線気味だが「カラ」については最小限、
この程度の常識は欠かせないので特に付記した。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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この<カツラ>・<カッラ>がさらに後世に「カラ」にまで短縮した。
それは言葉を短く短縮する著しい特徴をもつ南九州語の当然の結果だから、
<カラ>は南九州生まれだと断定して間違いない。
その証拠にこの郡域を見下ろす霧島連峰の最高峰は
「韓(カラ)国(くに)見岳」と命名されている。
この<カラ>は8世紀には唐の代名詞にもなる。
今でも唐の字を「カラ」と発音するが、
漢音は「トウ」で、
「カラ」は和訓だと誰でも知っている。
それで呼ぶのは8世紀当時の人々が、
唐政権の皇帝たちは<姶良人>の子孫だと、
知っていたからにほかならない。
私たちは隋・唐の皇帝が今の中国東北区(旧満洲)からの侵入者であり、
その前は高句麗人であり、
その母胎は沖縄から南九州に政権を拡大して行った姶良人だったことも知っている。
「カラ」という2字の名詞は短いが、これだけの内容をもつ凄い名詞だということを、
この際、改めて強く認識しておいていただきたい。
この事実をさらに証言するのもパーリ語である。
前回のパーリ語と日本籍の共通語と同様、中国語との共通語も多い。
唐人が姶良人の子孫だとわかった今は、それは不思議ではないが、
その共通語はほとんどが唐音であることも、
以上の事実を充分立証しているのである。
少し脱線気味だが「カラ」については最小限、
この程度の常識は欠かせないので特に付記した。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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古代史の画像
2010年5月20日木曜日
「カラ」の語源と「姶良」の真意
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:9頁
<カラ>が日本語だという証拠は、
それが日本生まれだという事実を私たちが知っているからだが、
お忘れの方もあると思うので軽くおさらいしておこう。
その語源は、釋迦が王子として生まれた城市・<カピラ>である。
この名が巴利国の隼人町一帯の地名として定着していたから
姶良(カヒラ⇒アイラ)という当て字が今も郡名として残っている。
この「姶」の字には多くの意味が含まれている。
単に「合」だけをカヒに使えばいいものを、
わざわざ「女」偏をつけたのは、
そこが女王国の首都だったためだし、
「合」の字が和訓で「アイ」と読まれるのも、
卑弥呼の名「愛・アイ」からきている。
姶良は「愛(アイ)女王の国(ラ)」なのである。
しかし卑弥呼政権の崩壊後はそうしたことは、
新来者たちには忘れられてしまい、
<姶良>も<カッラ>と発音されて「葛・カツラ」の字があてられ、
その首都は<葛城>・<カツラギ>と呼ばれた時代がある。
この葛城姓は今も現存し、
葛城襲津(ソツ)彦の「襲津彦」は、
襲の王を意味するから、
今も「襲の山」という地名があるこの地域の、
統治者時代の名乗りだと完全に理解できる。
奈良県の葛城山は、
それよりはるかに後世に、
大隈人が奈良県下に入った後の命名であって、
襲津彦が奈良にいたのなら奈良彦と名乗らねばならない。
これは『名乗り学』の初歩の人にでもわかる単純な原則である。
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『メソポタミア世界』
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古代史の画像
<カラ>が日本語だという証拠は、
それが日本生まれだという事実を私たちが知っているからだが、
お忘れの方もあると思うので軽くおさらいしておこう。
その語源は、釋迦が王子として生まれた城市・<カピラ>である。
この名が巴利国の隼人町一帯の地名として定着していたから
姶良(カヒラ⇒アイラ)という当て字が今も郡名として残っている。
この「姶」の字には多くの意味が含まれている。
単に「合」だけをカヒに使えばいいものを、
わざわざ「女」偏をつけたのは、
そこが女王国の首都だったためだし、
「合」の字が和訓で「アイ」と読まれるのも、
卑弥呼の名「愛・アイ」からきている。
姶良は「愛(アイ)女王の国(ラ)」なのである。
しかし卑弥呼政権の崩壊後はそうしたことは、
新来者たちには忘れられてしまい、
<姶良>も<カッラ>と発音されて「葛・カツラ」の字があてられ、
その首都は<葛城>・<カツラギ>と呼ばれた時代がある。
この葛城姓は今も現存し、
葛城襲津(ソツ)彦の「襲津彦」は、
襲の王を意味するから、
今も「襲の山」という地名があるこの地域の、
統治者時代の名乗りだと完全に理解できる。
奈良県の葛城山は、
それよりはるかに後世に、
大隈人が奈良県下に入った後の命名であって、
襲津彦が奈良にいたのなら奈良彦と名乗らねばならない。
これは『名乗り学』の初歩の人にでもわかる単純な原則である。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
古代史の画像
2010年5月19日水曜日
発音差が意識された時代と「カラ」の真意
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:8頁
では具体的に、どんな人々が<カ行>と<ハ行>に、それぞれ発音していたのか?。
この答も簡単である。
いま韓国の人たちは自国の「韓」を<ハン>と発音するが、
私たちは「カン」と発音するのが正しいと信じている。
というより日本国内では「カンコク」と言わないと意味が通じないからである。
同様に韓国では「ハン」と発音しなければやはり意味が通じない。
これでおわかりのように
<ハラ>という発音は半島の韓国型であり、
<カラ>が列島の倭国型だったのだ。
またこのことで「ハラカラ」という造語が何時生まれたかもわかる。
それは<ハラ>が正しいと信じていた半島居住者たちが、
大量に列島内へ移住してきた時期、
すなわち大化大戦による日本誕生時代以外には生まれなかった「同胞」思想が、
この時に限って生まれたからだ。
だからそれ以前の倭国では「ハ」は「カ」と発音していた。
「原」は<カラ>に対する当て字だったのである。
ではその時の「カラ」とは何処を意味するのか?。
侵入する目標地として
大阪から奈良を指している時代は
倭の五王時代以外にはないのだから、
倭王讃の名乗りからすでに現われる
<秦韓>・<慕韓>には間違いなく<カラ>がついているし、
属国として挙げている新羅・百済もまた当時はカラの国である。
倭の五王の名乗りをみれば、当時の<カラ>とは国名ではなく、
属国を意味する代名詞だったという形になっている。
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では具体的に、どんな人々が<カ行>と<ハ行>に、それぞれ発音していたのか?。
この答も簡単である。
いま韓国の人たちは自国の「韓」を<ハン>と発音するが、
私たちは「カン」と発音するのが正しいと信じている。
というより日本国内では「カンコク」と言わないと意味が通じないからである。
同様に韓国では「ハン」と発音しなければやはり意味が通じない。
これでおわかりのように
<ハラ>という発音は半島の韓国型であり、
<カラ>が列島の倭国型だったのだ。
またこのことで「ハラカラ」という造語が何時生まれたかもわかる。
それは<ハラ>が正しいと信じていた半島居住者たちが、
大量に列島内へ移住してきた時期、
すなわち大化大戦による日本誕生時代以外には生まれなかった「同胞」思想が、
この時に限って生まれたからだ。
だからそれ以前の倭国では「ハ」は「カ」と発音していた。
「原」は<カラ>に対する当て字だったのである。
ではその時の「カラ」とは何処を意味するのか?。
侵入する目標地として
大阪から奈良を指している時代は
倭の五王時代以外にはないのだから、
倭王讃の名乗りからすでに現われる
<秦韓>・<慕韓>には間違いなく<カラ>がついているし、
属国として挙げている新羅・百済もまた当時はカラの国である。
倭の五王の名乗りをみれば、当時の<カラ>とは国名ではなく、
属国を意味する代名詞だったという形になっている。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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古代史の画像
2010年5月18日火曜日
「原」の謎を解く「ハラカラ」の語源
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:7頁
この間題には都合のいい有名な答がある。
それは「ハラカラ」という日本語の存在である。
ハラカラとは「同胞」と書く古語で
「兄弟姉妹」の意味に使われてきたが、
明治以後は日本の統一を眼目に、
極端な国家主義に利用されて「国民」の意味に多用された。
問題はその語源である。
「同じ腹から生まれた」という意味で「腹から」というという説もあったが、
「同じ」が省略されると「腹から生まれた者」であって、
卵生のものを除いても胎生の動物は全て「ハラカラ」になり、
「兄弟姉妹」だけを指すわけがない。
卵生のものでも、卵は「腹から」生まれると反発されて、
この説は完全に消滅してしまっている。
では「ハラカラ」の語源は何か?。
それは一つしかない。
多民族国家だった古代日本では
「ハラ」も「カラ」も「同じ意味」の言葉だった。
だからハラと発音する人たちも、
カラと発音する人たちも「兄弟同然だ」というのが、
この言葉の真意である。
だからもともとこの言葉は、
国家統一時代に生まれた新語だったのであり、
国家主義の芽生えが意識にのぼりはじめた時代の
「同胞」に当たる造語だったのである。
だから「ハラ」は「カラ」と同じ意味をもっていた。
それは<ヒ>と発音しても、<シ>と発音しても、
同じ「日」や「火」を意味するように、
単なる方言差に過ぎなかったのである。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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この間題には都合のいい有名な答がある。
それは「ハラカラ」という日本語の存在である。
ハラカラとは「同胞」と書く古語で
「兄弟姉妹」の意味に使われてきたが、
明治以後は日本の統一を眼目に、
極端な国家主義に利用されて「国民」の意味に多用された。
問題はその語源である。
「同じ腹から生まれた」という意味で「腹から」というという説もあったが、
「同じ」が省略されると「腹から生まれた者」であって、
卵生のものを除いても胎生の動物は全て「ハラカラ」になり、
「兄弟姉妹」だけを指すわけがない。
卵生のものでも、卵は「腹から」生まれると反発されて、
この説は完全に消滅してしまっている。
では「ハラカラ」の語源は何か?。
それは一つしかない。
多民族国家だった古代日本では
「ハラ」も「カラ」も「同じ意味」の言葉だった。
だからハラと発音する人たちも、
カラと発音する人たちも「兄弟同然だ」というのが、
この言葉の真意である。
だからもともとこの言葉は、
国家統一時代に生まれた新語だったのであり、
国家主義の芽生えが意識にのぼりはじめた時代の
「同胞」に当たる造語だったのである。
だから「ハラ」は「カラ」と同じ意味をもっていた。
それは<ヒ>と発音しても、<シ>と発音しても、
同じ「日」や「火」を意味するように、
単なる方言差に過ぎなかったのである。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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古代史の画像
2010年5月17日月曜日
パーリ語が解いた「葦」の国の謎
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:6頁
では続く「葦」は何処にあった国なのか?。
これはアシと読んだのでは、そんな古代国は見つからない。
福岡と兵庫に芦屋がある程度だ。
アシハラまで続けてみても北陸の温泉地・芦原ぐらいしか見当たらないが、
ここも「アワラ」と発音して、アシハラでもない。
ところがこの葦がパーリ語の葦を意味する当て字だとわかると、
一転して謎が解けるのである。
パーリ語の「葦」は「ナラ na-la」である。
ナラは奈良とみると「豊」の大阪府豊能郡と豊島郡から河内を経て、
生駒山地を境界にするだけの、れっきとした隣接地域である。
国と呼べる程の広さをもったナラは全国をみてもここしかないから、
天孫降臨の「豊・葦」は近畿の中央部を指しているのだ。
仮にこのナラを『魏書倭人章』の奴国とみると
豊前に隣接していて都合が良さそうだが、
ご存じのように奴国はナコクではなく「ノマ」としか読めない。
ナラと読むのは間違いだとわかっているのだから、
近畿の「奈良」以外には正解はないのである。
ここまでわかると、次の「原」は奈良とは無関係だから、
これも一字で他の国を指しているとみるほかない。
しかしハラという古代国家は存在しないし、
「ゲン」と読む古代国家も関西以西にはみつからないし、これに合うパーリ語もない。
残るのは大隅語は関東語と同じく日(ヒ)をシと発音するから、
そうした音韻変化を考えにいれて「原」を検討することである。
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では続く「葦」は何処にあった国なのか?。
これはアシと読んだのでは、そんな古代国は見つからない。
福岡と兵庫に芦屋がある程度だ。
アシハラまで続けてみても北陸の温泉地・芦原ぐらいしか見当たらないが、
ここも「アワラ」と発音して、アシハラでもない。
ところがこの葦がパーリ語の葦を意味する当て字だとわかると、
一転して謎が解けるのである。
パーリ語の「葦」は「ナラ na-la」である。
ナラは奈良とみると「豊」の大阪府豊能郡と豊島郡から河内を経て、
生駒山地を境界にするだけの、れっきとした隣接地域である。
国と呼べる程の広さをもったナラは全国をみてもここしかないから、
天孫降臨の「豊・葦」は近畿の中央部を指しているのだ。
仮にこのナラを『魏書倭人章』の奴国とみると
豊前に隣接していて都合が良さそうだが、
ご存じのように奴国はナコクではなく「ノマ」としか読めない。
ナラと読むのは間違いだとわかっているのだから、
近畿の「奈良」以外には正解はないのである。
ここまでわかると、次の「原」は奈良とは無関係だから、
これも一字で他の国を指しているとみるほかない。
しかしハラという古代国家は存在しないし、
「ゲン」と読む古代国家も関西以西にはみつからないし、これに合うパーリ語もない。
残るのは大隅語は関東語と同じく日(ヒ)をシと発音するから、
そうした音韻変化を考えにいれて「原」を検討することである。
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2010年5月16日日曜日
「豊」は首都圏だった主要国名
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:5頁
仁徳天皇は倭の五王の初代・讃で、
一代で阿波(大(オホ)=倭=徳島県)と
讃岐(サヌキ)(雀(サザキ)=香川県)まで取り、
四国の末端に達した。
その後を継いだ四王が淡路島から和歌山県に渡り、
次第に大阪府の南部を、
和泉、河内の順に取ったことが、
その名乗りで明瞭にわかっている。
そして用明天皇の名乗り「橘の豊日」と、
孝徳天皇の名乗り「天萬豊日」とに、
「豊」がまた重ねて出てくる。
橘の豊日とは「但馬国=タチバナ」「豊日国=トヨシマ」で、
「天萬豊日」とは「天満=テンマ=大阪市」。
「トヨシマ=豊島郡=大阪府の北部平野部」を指し、
河内の大半が水没していた当時の大阪府を考えると、
豊島郡が政治経済の中心地だったから、
そこに豊の字がついているのは、
至極、妥当な命名だといわねばならない。
ただし、倭の五王たちがそこまで取ったとは考えられない。
それは孝徳天皇の時代は二百年以上あとだし、
用明天皇も高句麗王名は広開土王の欽明天皇の孫であり、
その父・敏達天皇は
これまた超長期政権で知られる高句麗王名・長寿王だから、
倭の五王とは反対派で全く無関係である。
しかし豊葦原瑞穂の国の「豊」が
以上の豊の国のいずれかを指していることは間違いない。
これで筆頭の豊が名乗りと同じ性格の主要国名だと確認できたのである。
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仁徳天皇は倭の五王の初代・讃で、
一代で阿波(大(オホ)=倭=徳島県)と
讃岐(サヌキ)(雀(サザキ)=香川県)まで取り、
四国の末端に達した。
その後を継いだ四王が淡路島から和歌山県に渡り、
次第に大阪府の南部を、
和泉、河内の順に取ったことが、
その名乗りで明瞭にわかっている。
そして用明天皇の名乗り「橘の豊日」と、
孝徳天皇の名乗り「天萬豊日」とに、
「豊」がまた重ねて出てくる。
橘の豊日とは「但馬国=タチバナ」「豊日国=トヨシマ」で、
「天萬豊日」とは「天満=テンマ=大阪市」。
「トヨシマ=豊島郡=大阪府の北部平野部」を指し、
河内の大半が水没していた当時の大阪府を考えると、
豊島郡が政治経済の中心地だったから、
そこに豊の字がついているのは、
至極、妥当な命名だといわねばならない。
ただし、倭の五王たちがそこまで取ったとは考えられない。
それは孝徳天皇の時代は二百年以上あとだし、
用明天皇も高句麗王名は広開土王の欽明天皇の孫であり、
その父・敏達天皇は
これまた超長期政権で知られる高句麗王名・長寿王だから、
倭の五王とは反対派で全く無関係である。
しかし豊葦原瑞穂の国の「豊」が
以上の豊の国のいずれかを指していることは間違いない。
これで筆頭の豊が名乗りと同じ性格の主要国名だと確認できたのである。
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2010年5月15日土曜日
豊の国の系譜
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:4頁
百済はポセイから沖縄語のフジに変わり、
それまで「百・豊・日・火・穂」とホに対する当て字にしてきたものを、
フ・プと発音することになった。
その最も有力な動かぬ証拠は、豊は漢音ホウだが、
豊前・豊後は「プ」と発音するので沖縄語系の人たちの用語だとわかる。
このフ音のお蔭で豊前・豊後が卑弥呼時代に九州に存在したことも
『魏書倭人章』の国名で立証できる。
不弥国は豊前でフミェ(ミェは前(まえ)の北九州訛り)への当て字。
不呼国はフゴ国で豊後国(プンゴはフのゴ)、フゴへの当て字だから、
一対になって完全に揃っている。
いうまでもなくこの二国は今の大分県を構成しているが、
ついでにいえばカールグレンの漢魏音では
不呼はピューグァで日向も意味しているから、
3世紀当時は宮崎県までが不呼国だったのである。
すると当時はすでに我が国では漢字は今の発音と同じ使い方がされていたこと、
漢や魏の人とは筆談はできても会話はできず、通訳が必要だったことまでわかる。
この大分県は、宇佐八幡が象徴する宇佐王(ウサギ)仁徳天皇=讃の出発点だった。
その先代・応神天皇は大隅正八幡のある鹿児島県の隼人町に遺跡を残し、
彼の母は豊玉姫の名に豊の女王の名を明かにしている。
こう比較してみると大隅は「倭住み=オオスミ」に読め、
大分(古音=オホギタ)は「倭来た、または倭北」と読め、一連の豊の国だとわかる。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
百済はポセイから沖縄語のフジに変わり、
それまで「百・豊・日・火・穂」とホに対する当て字にしてきたものを、
フ・プと発音することになった。
その最も有力な動かぬ証拠は、豊は漢音ホウだが、
豊前・豊後は「プ」と発音するので沖縄語系の人たちの用語だとわかる。
このフ音のお蔭で豊前・豊後が卑弥呼時代に九州に存在したことも
『魏書倭人章』の国名で立証できる。
不弥国は豊前でフミェ(ミェは前(まえ)の北九州訛り)への当て字。
不呼国はフゴ国で豊後国(プンゴはフのゴ)、フゴへの当て字だから、
一対になって完全に揃っている。
いうまでもなくこの二国は今の大分県を構成しているが、
ついでにいえばカールグレンの漢魏音では
不呼はピューグァで日向も意味しているから、
3世紀当時は宮崎県までが不呼国だったのである。
すると当時はすでに我が国では漢字は今の発音と同じ使い方がされていたこと、
漢や魏の人とは筆談はできても会話はできず、通訳が必要だったことまでわかる。
この大分県は、宇佐八幡が象徴する宇佐王(ウサギ)仁徳天皇=讃の出発点だった。
その先代・応神天皇は大隅正八幡のある鹿児島県の隼人町に遺跡を残し、
彼の母は豊玉姫の名に豊の女王の名を明かにしている。
こう比較してみると大隅は「倭住み=オオスミ」に読め、
大分(古音=オホギタ)は「倭来た、または倭北」と読め、一連の豊の国だとわかる。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
古代史の画像
2010年5月14日金曜日
パーリ語による謎解き『天孫降臨』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録08:3頁
今回は、パーリ語によるとどんなに謎がとけるか?
その実例からお話ししよう。
「天孫降臨」は天照大神が孫の「瓊瓊杵(ニニギ)の命」に、
「豊葦原瑞穂の国は汝が王になるべき国だ。行って治めよ」
という意味の神勅を下して実行された歴史だとされてきた。
まずこの天照大神だが、神武天皇以前の神話時代の存在で、
人皇時代の人ではないというのが『記・紀』の建て前である。
しかし私たちの常識では、天照大神といえばまず卑弥呼を考える。
ところが卑弥呼は年すでに長大と書かれ、
桓・霊の間に女王に共立されているのをみても非常な老齢で、
幼いニニギの命に該当する孫がいるはずがない。
天孫降臨が彼女の若い頃の事件だとしても、
彼女には夫婿がないと明記されているし後継者としての息子もいず、
ただ男弟だけが政務を助けているというから、
この天照大神は彼女ではない。
ではこの天照大神は誰なのか?。
次の手懸かりである豊葦原瑞穂の国を検討してみよう。
豊は豊前・豊後という古代国名が実在しているし、
その前後の歴史も私たちにはよく解っている。
それを順番にみていこう。
それはポセイドンを地名にした百済出水(または出雲)に始まる
「ホ・フ」への当て字の一つである。
ポセイドンは海神だからギリシャ系の人たちによって島の名として命名され、
人びとの移住と共に次第に北上して九州の地名になった。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
古代史の画像
今回は、パーリ語によるとどんなに謎がとけるか?
その実例からお話ししよう。
「天孫降臨」は天照大神が孫の「瓊瓊杵(ニニギ)の命」に、
「豊葦原瑞穂の国は汝が王になるべき国だ。行って治めよ」
という意味の神勅を下して実行された歴史だとされてきた。
まずこの天照大神だが、神武天皇以前の神話時代の存在で、
人皇時代の人ではないというのが『記・紀』の建て前である。
しかし私たちの常識では、天照大神といえばまず卑弥呼を考える。
ところが卑弥呼は年すでに長大と書かれ、
桓・霊の間に女王に共立されているのをみても非常な老齢で、
幼いニニギの命に該当する孫がいるはずがない。
天孫降臨が彼女の若い頃の事件だとしても、
彼女には夫婿がないと明記されているし後継者としての息子もいず、
ただ男弟だけが政務を助けているというから、
この天照大神は彼女ではない。
ではこの天照大神は誰なのか?。
次の手懸かりである豊葦原瑞穂の国を検討してみよう。
豊は豊前・豊後という古代国名が実在しているし、
その前後の歴史も私たちにはよく解っている。
それを順番にみていこう。
それはポセイドンを地名にした百済出水(または出雲)に始まる
「ホ・フ」への当て字の一つである。
ポセイドンは海神だからギリシャ系の人たちによって島の名として命名され、
人びとの移住と共に次第に北上して九州の地名になった。
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
古代史の画像
2010年5月13日木曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(8)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:38~41頁
sissati 仕残す。やり残す
シッサチ
シーサシ (関西語)仕さし。やり残し
sima 境内。境界。教区。戒場。戒壇
シーマー
シマ (日本語)勢力範囲。露天商の縄張り
シマ (日本語)島・之国(しま)
sukara しやすい。容易な。簡単な
スカラ
スッカリ (日本語)しやすい。
スカミタイ (関西語)(容易だから)全部できる
sukhin 安楽な。幸せな。災いのない
スクヒン
スクヒン (南九州語)救いの。
sundari 美女。美人。麗人
スンダリ
スンナリ (日本語)すんなり
sumbhati 人を投げとばす。人を打つ
スムブァチ (沖縄語形)
スモフギ (日本語)相撲技(当て字)
suria 日天。日。日輪。太陽
スリヤ
ソラ (南九州語)天空
suja 匙。さじ。杓子
スジャー
サジ (日本語)匙。さじ
susukala-kesa 漆黒の毛髪
ススカーラケサ
ススクロケサ (日本語)煤(すす)黒毛さ
suju 直ぐ。真っ直ぐ
スージゥ (沖縄語形)
スグ (日本語)直ぐ
supi 汁。スープ
スーピ
スヒ (南九州語)汁(味噌汁はミソスヒ)
selita 叫び声。叫んでいる。騒ぎ
セリタ (沖縄語形)
セリテ (日本語)競り手
sevaka 従容易な僕。家臣。家政婦
セバカ
セワカ (日本語)世話家
セワガカリ (日本語)世話係
sobhana 美女。輝く女。娼婦。遊女。側女
ソバナ
ソバメ (日本語)側女?→ばおんな→そばめ
sovanna 黄金の。黄金作りの。仏像
ソバンナ
ソバオンナ (日本語)側女。仏像を守る女
sovatthika 卍。完全な。平安な
ソバッチカ
ソバチカ (日本語)側近→そばちか→そっきん
ha は!。必ず。きっと。確かに
ハ
ハ (日本語)は!。はい!。確かに
hatatta 殺された状態。♯された状況
ハタッタ
ハタッタ (日本古語)殺した。壊した
ハタシアイ (日本語)果し合い。=殺し合い
hattha 手のひら。掌。手。肘
ハッタ
ハッタオス (関西語)(掌で)張り倒す
haya 速。速力。速度。馬
ハヤ
ハヤ (日本古語)速
harana 取り払う。持ち運ぶ。除去する
ハラナ
ハラウ (日本語)(埃などを)払う
hala-hala 騒ぎ。猛毒
ハラーハラ
ハラハラ (日本語)はらはらする
hasite 下品な笑い。戯れ笑い
ハシタ
ハシタナイ (日本語)下品な。卑しい
ha- はー。はい。はっ。ああ
ハー
ハイ (日本語)はい。はっ
ha-na 退く。離れる。棄てる
ハーナ
ハナレル (日本語)離れる
ha-ri 魅力のある。立派な
ハーリ
ハリ (日本語)はりのある(声・仕事〉
ha-seti 笑わせる。音ばせる.挿しがらせる
ハーセチ
ワラワセテ (日本語)笑わせて
hita 儲け。利益。有益な
ヒタ
ヒタスラ (日本語)ひたすら(儲けなどを追う)
hi-na 卑しい。劣った。見捨てられた
ヒーナ
ヒナ (日本語)卑しい。劣った。辺鄙な
hi-ra 片。細片。砕片。裂片。花片
ヒーラ
ヒラ (日本語)片
ヒラヒラ (日本語)ひらひら(舞う。散る.飛ぶ)
hettha- 下に。下の方に
ヘッター
ヘタ (日本語)下手
ヒタ (東京語)下
シタ (日本語)下
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sissati 仕残す。やり残す
シッサチ
シーサシ (関西語)仕さし。やり残し
sima 境内。境界。教区。戒場。戒壇
シーマー
シマ (日本語)勢力範囲。露天商の縄張り
シマ (日本語)島・之国(しま)
sukara しやすい。容易な。簡単な
スカラ
スッカリ (日本語)しやすい。
スカミタイ (関西語)(容易だから)全部できる
sukhin 安楽な。幸せな。災いのない
スクヒン
スクヒン (南九州語)救いの。
sundari 美女。美人。麗人
スンダリ
スンナリ (日本語)すんなり
sumbhati 人を投げとばす。人を打つ
スムブァチ (沖縄語形)
スモフギ (日本語)相撲技(当て字)
suria 日天。日。日輪。太陽
スリヤ
ソラ (南九州語)天空
suja 匙。さじ。杓子
スジャー
サジ (日本語)匙。さじ
susukala-kesa 漆黒の毛髪
ススカーラケサ
ススクロケサ (日本語)煤(すす)黒毛さ
suju 直ぐ。真っ直ぐ
スージゥ (沖縄語形)
スグ (日本語)直ぐ
supi 汁。スープ
スーピ
スヒ (南九州語)汁(味噌汁はミソスヒ)
selita 叫び声。叫んでいる。騒ぎ
セリタ (沖縄語形)
セリテ (日本語)競り手
sevaka 従容易な僕。家臣。家政婦
セバカ
セワカ (日本語)世話家
セワガカリ (日本語)世話係
sobhana 美女。輝く女。娼婦。遊女。側女
ソバナ
ソバメ (日本語)側女?→ばおんな→そばめ
sovanna 黄金の。黄金作りの。仏像
ソバンナ
ソバオンナ (日本語)側女。仏像を守る女
sovatthika 卍。完全な。平安な
ソバッチカ
ソバチカ (日本語)側近→そばちか→そっきん
ha は!。必ず。きっと。確かに
ハ
ハ (日本語)は!。はい!。確かに
hatatta 殺された状態。♯された状況
ハタッタ
ハタッタ (日本古語)殺した。壊した
ハタシアイ (日本語)果し合い。=殺し合い
hattha 手のひら。掌。手。肘
ハッタ
ハッタオス (関西語)(掌で)張り倒す
haya 速。速力。速度。馬
ハヤ
ハヤ (日本古語)速
harana 取り払う。持ち運ぶ。除去する
ハラナ
ハラウ (日本語)(埃などを)払う
hala-hala 騒ぎ。猛毒
ハラーハラ
ハラハラ (日本語)はらはらする
hasite 下品な笑い。戯れ笑い
ハシタ
ハシタナイ (日本語)下品な。卑しい
ha- はー。はい。はっ。ああ
ハー
ハイ (日本語)はい。はっ
ha-na 退く。離れる。棄てる
ハーナ
ハナレル (日本語)離れる
ha-ri 魅力のある。立派な
ハーリ
ハリ (日本語)はりのある(声・仕事〉
ha-seti 笑わせる。音ばせる.挿しがらせる
ハーセチ
ワラワセテ (日本語)笑わせて
hita 儲け。利益。有益な
ヒタ
ヒタスラ (日本語)ひたすら(儲けなどを追う)
hi-na 卑しい。劣った。見捨てられた
ヒーナ
ヒナ (日本語)卑しい。劣った。辺鄙な
hi-ra 片。細片。砕片。裂片。花片
ヒーラ
ヒラ (日本語)片
ヒラヒラ (日本語)ひらひら(舞う。散る.飛ぶ)
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古代史の画像
2010年5月12日水曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(7)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:34~37頁
samannate 有名になった。知られた
サマンナタ
サマニナッタ (日本語)様になった(成功した)
samanaka 落魄れた沙門。にせ沙門
サマナカ
ザマナカ (南九州語)態(ざま)ない。沙門ではない
samatta 定まった。治まった。完成した
サマッタ
オサマッタ (日本語)治まった
sama-rambha 勤勉。勉励。努力
サマーラムバ
サモアランバ (日本古語)さもあらねば
sama-sa 済ます
サマーサ
スマス (日本語)済ます
samunna 濡れた。湿った
サムウンナ
サムウナル (日本語)寒うなる
sampatti 得る。成功。成就。到達
サムバッチ
サモバッチー (南九州語)さもバッチリ
sampa-yati 解答できる。即答出来る。
サムバーヤチ
サモハヤシ (日本古語)さも速し
sammati 冷める。静まる。疲れる。寂止
サムマチ
サマシ (日本語)冷まし
sammasita 眼を覚ました。理解した
サムマシタ
サメマシタ (日本語)覚めました
sammegha 雨。雨天。雨雲
サムメガ
サメガ (日本語)春雨(さめ)が、霧雨(さめ)が
saraka 土器。容器。水入れ。水飲み
サラカ
サラ (日本語)皿
savana 流れ。流す。聴く。聴聞。耳
サバナ
サワノ (日本語)沢野
サバク (日本語)裁く。捌く
sasattha 剣をもつている。刺す者。蜂
ササッタ
ササッタ (日本語)刺さった
sahasa- 強いて。急に。突然に。無理に
サハサー
サーサー (日本語)(強制して急がせる言葉)
サッサ (日本語)(となさい=〃 〃 〃)
saha-yaka 女友達
サハーヤカ
サハヤカ (日本語)さわやか・爽やか
sa-tiya 好い。愉快な。好ましい。素晴らしい
サーチヤ
サチ (日本古語)幸・さち
sa-meti 醒める。覚める。冷める.止める。静める
サーメチ
サメテ (日本古語)醒めて。覚めて。冷めて
sa-ya 小夜。夕方。夕暮れ
サーヤ
サヨ (日本古語〉小夜(はサーヤへの当て字)
sa-ra-da 新しく熟した。新熟米。秋の稔り。
サーラーダ
サラダ (日本語)新品(さら)だ
sa-rin 去る者。行く者。彷徨う者
サーリン
サリヌ (日本語)去りぬ
sa-reti 去らせる。行かせる。磨く。晒(さら)す
サーレチ
サレチ (南九州語)去れち(行ってしまえ)
サラス (日本語)去らせる。晒す
sa-li 米、稲
サーリ
シヤリ (日本語)米、舎利
savajja 有罪の。犯罪の。叱る。責める
サーバッジャ
サーバッジャ (南九州語)さあ罰じゃ
ショバツ (日本語)処罰
sa-vetar 説教者。説者
サーベタル
シャベータル (南九州語)喋り太郎(喋り男)
sa-sati 命令。命ずる。教える
サーサチ
サッサト (日本語)さっさと(やれ)
sikkhati 学ぶ。習得する
シッカチ
シッカリ (日本語)しっかり(やれ)
sikkha-ma-na- 式。女性学者
シッカーマーナー
シッカ (日本古語)式家
シッカリマナブ (日本語)しっかり学ぶ
sikkha-ta- 学性。戒性
シッカーター
シカッタ (日本語)叱った
singa-ra 恋情。恋慕
シンガーラ
シガラミ (日本語)(恋の)しがらみ
silesa 謎。粘着。結合。くっつく
シレサ
シレッス (南九州語)知らん顔をする
sisira 冷たい。冷凍。冬
シシラ
シジラ (日本古語)冷たい。しじら雨
ヒヒラ (南九州古語)冷たい。しじら雨
ヒユラ (南九州語)冷ゆら(冷える)
siva 雪山(ヒマラヤ)の王神
シバ
シバレル (東北地方語)凍てつく。凍える
シビレル (日本語)痺れる
シバル (日本語)縛る=凍えたように動けなくする
シベリヤ (日本古語)凍てついて滑る土地
スベル (日本語)滑る
ヒマラヤ (日本古語)水国(ひま)ラジャ(王)
sita 冷えた。冷たい。寒い。清涼
シータ
シエタ (東京語)冷えた
ヒエタ (日本語)冷えた
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samannate 有名になった。知られた
サマンナタ
サマニナッタ (日本語)様になった(成功した)
samanaka 落魄れた沙門。にせ沙門
サマナカ
ザマナカ (南九州語)態(ざま)ない。沙門ではない
samatta 定まった。治まった。完成した
サマッタ
オサマッタ (日本語)治まった
sama-rambha 勤勉。勉励。努力
サマーラムバ
サモアランバ (日本古語)さもあらねば
sama-sa 済ます
サマーサ
スマス (日本語)済ます
samunna 濡れた。湿った
サムウンナ
サムウナル (日本語)寒うなる
sampatti 得る。成功。成就。到達
サムバッチ
サモバッチー (南九州語)さもバッチリ
sampa-yati 解答できる。即答出来る。
サムバーヤチ
サモハヤシ (日本古語)さも速し
sammati 冷める。静まる。疲れる。寂止
サムマチ
サマシ (日本語)冷まし
sammasita 眼を覚ました。理解した
サムマシタ
サメマシタ (日本語)覚めました
sammegha 雨。雨天。雨雲
サムメガ
サメガ (日本語)春雨(さめ)が、霧雨(さめ)が
saraka 土器。容器。水入れ。水飲み
サラカ
サラ (日本語)皿
savana 流れ。流す。聴く。聴聞。耳
サバナ
サワノ (日本語)沢野
サバク (日本語)裁く。捌く
sasattha 剣をもつている。刺す者。蜂
ササッタ
ササッタ (日本語)刺さった
sahasa- 強いて。急に。突然に。無理に
サハサー
サーサー (日本語)(強制して急がせる言葉)
サッサ (日本語)(となさい=〃 〃 〃)
saha-yaka 女友達
サハーヤカ
サハヤカ (日本語)さわやか・爽やか
sa-tiya 好い。愉快な。好ましい。素晴らしい
サーチヤ
サチ (日本古語)幸・さち
sa-meti 醒める。覚める。冷める.止める。静める
サーメチ
サメテ (日本古語)醒めて。覚めて。冷めて
sa-ya 小夜。夕方。夕暮れ
サーヤ
サヨ (日本古語〉小夜(はサーヤへの当て字)
sa-ra-da 新しく熟した。新熟米。秋の稔り。
サーラーダ
サラダ (日本語)新品(さら)だ
sa-rin 去る者。行く者。彷徨う者
サーリン
サリヌ (日本語)去りぬ
sa-reti 去らせる。行かせる。磨く。晒(さら)す
サーレチ
サレチ (南九州語)去れち(行ってしまえ)
サラス (日本語)去らせる。晒す
sa-li 米、稲
サーリ
シヤリ (日本語)米、舎利
savajja 有罪の。犯罪の。叱る。責める
サーバッジャ
サーバッジャ (南九州語)さあ罰じゃ
ショバツ (日本語)処罰
sa-vetar 説教者。説者
サーベタル
シャベータル (南九州語)喋り太郎(喋り男)
sa-sati 命令。命ずる。教える
サーサチ
サッサト (日本語)さっさと(やれ)
sikkhati 学ぶ。習得する
シッカチ
シッカリ (日本語)しっかり(やれ)
sikkha-ma-na- 式。女性学者
シッカーマーナー
シッカ (日本古語)式家
シッカリマナブ (日本語)しっかり学ぶ
sikkha-ta- 学性。戒性
シッカーター
シカッタ (日本語)叱った
singa-ra 恋情。恋慕
シンガーラ
シガラミ (日本語)(恋の)しがらみ
silesa 謎。粘着。結合。くっつく
シレサ
シレッス (南九州語)知らん顔をする
sisira 冷たい。冷凍。冬
シシラ
シジラ (日本古語)冷たい。しじら雨
ヒヒラ (南九州古語)冷たい。しじら雨
ヒユラ (南九州語)冷ゆら(冷える)
siva 雪山(ヒマラヤ)の王神
シバ
シバレル (東北地方語)凍てつく。凍える
シビレル (日本語)痺れる
シバル (日本語)縛る=凍えたように動けなくする
シベリヤ (日本古語)凍てついて滑る土地
スベル (日本語)滑る
ヒマラヤ (日本古語)水国(ひま)ラジャ(王)
sita 冷えた。冷たい。寒い。清涼
シータ
シエタ (東京語)冷えた
ヒエタ (日本語)冷えた
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2010年5月11日火曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(6)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:30~33頁
vissavati 絞る。滴さばき。滲みだす
ビスサバチ
ミズサバキ (日本語)水さばき
vihanati 助けない。殺す
ビハナチ
ミハナチ (日本古語)見放ち
ミハナシ (日本語)見放し
viharati 居住。住むこと
ビハラチ
ミハラシ (日本語)見晴らし(とは居住性)
vijati 冷やす。扇ぐ
ビヤチ
ヒヤシ (日本語)冷やし
vithi 道。道路。経路。人道
ビチ
ミチ (日本語)道
vuccati 言う。言われる
ブッチャチ
ブッチャッテ (関東語)演説して
ブツ (日本語)言う。演説した
vutta 言われた。説かれた
ブッタ
ブッタ (日本語)言った。演説する
vuttha 雨が降った
ブッタ
フッタ (日本語)降った
vedeti 愛でる。知る。感受する。幸福
ベデチ
メデテ (日本語)愛でて
メデタイ (日本語)目出度い
vera 恨む。怨恨。敵意
ヴェラ
ウラム (日本語)恨む
viviccha 消極的。尻込み。ケチる
ビビッチャ
ビビッチャウ (日本語)尻込みしてしまう
ビビンチョ (関西語)ケチ。汚い奴
vesiya- 遊女。娼婦
ベシヤー
メシヤ (日本語)飯屋(飯盛り女)
vesma 家。住居
ベスマ
エスマイ (日本古語)家(え) 住居(すまい)
vo 最も多い
ヴォー
オー (日本語)多
vokinna 大きな。満ちた。覆われた
ヴォーキンナ
オーキナ (日本語)大きな
vyaggha 虎
ビャッガ
ビャッコ (日本語)白虎(は当て字)
vyamha 宮殿。王宮。天宮
ビヤムハ
ミヤ (日本語)宮・みや
vyasana 損害。災厄。損失。不幸
ヴャサナ
ワヤサナ (中部語)ワヤ(損害)さな
vyakhyata 説明した。書いた。記した。数えた
ビヤーキヤ一タ
ミヨーキヤータ (中部語)見様(みよう)書いた
vya-dhi 病気。病変。体調の狂い
ビャーディ
ビヤウデイ (南九州語)病、出る
ビョーキ (日本語)病気
vya-dheti 病気に悩む。病気で苦しむ
ビヤーヂチ
ビヤウデテ (日本語)病、出て(悩む。苦しむ)
samvaddhana 生ませ育成する。生長させる
サムバッダナ
サムバダナ (日本語)産婆だな
samsina 失意。落ち目。消失。落下
サムシナ
サムシナ (関西語)淋びしいな
sakasata 逆さ。間違い。偽り
サカサタ
サカサタイ (北九州語)逆さだ
サカサダ (日本語) 逆さだ
sangacchati 参加する。集会する。
サンガッチャチ
サンカシチャッテ (日本語〉参加しちゃって
sanganika- 参加する。衆に交わる
サンガニカー
サンガニイコー (日本語)参加に行こう
サンガニイコー (日本語)僧伽(サンガ)(寺)に行こう
sanga 僧伽(サンガ)(寺)
サンガ
サンガツドウ (日本語)僧伽(サンガ)集う。三月堂
sattha 去った。捨てた。
サッタ
サッタ (日本語)去った
savan 騒ぐ。騒音
サバン
サワグ (日本語)騒ぐ。騒音
サウオン (日本語)騒音(当て字)
saatti 刀。剣。槍
サッチ
サシモノ (日本語)差し物。刺し物
sada 一定。常に
サダー
サダ (日本語)定・さだ
santi 静寂。寂滅
サンチ
サミシ (日本語)寂し。淋し
sandhavati 走りまわる
サンダーバチ
サンザンバシー (南九州語)散々走り
sapariyanta 制限された。思うようにならない
サパリヤンタ
サッバリヤンカ (関西語)さっぱりじゃないか
sabba すべて。一切の
サッバ
サッパシ (日本語)さっぱし。さっぱり
sabbaji 一切勝者
サッバジ
サッパリ (日本語)悟って)さっぱり(した人
『参考』
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『メソポタミア世界』
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歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
vissavati 絞る。滴さばき。滲みだす
ビスサバチ
ミズサバキ (日本語)水さばき
vihanati 助けない。殺す
ビハナチ
ミハナチ (日本古語)見放ち
ミハナシ (日本語)見放し
viharati 居住。住むこと
ビハラチ
ミハラシ (日本語)見晴らし(とは居住性)
vijati 冷やす。扇ぐ
ビヤチ
ヒヤシ (日本語)冷やし
vithi 道。道路。経路。人道
ビチ
ミチ (日本語)道
vuccati 言う。言われる
ブッチャチ
ブッチャッテ (関東語)演説して
ブツ (日本語)言う。演説した
vutta 言われた。説かれた
ブッタ
ブッタ (日本語)言った。演説する
vuttha 雨が降った
ブッタ
フッタ (日本語)降った
vedeti 愛でる。知る。感受する。幸福
ベデチ
メデテ (日本語)愛でて
メデタイ (日本語)目出度い
vera 恨む。怨恨。敵意
ヴェラ
ウラム (日本語)恨む
viviccha 消極的。尻込み。ケチる
ビビッチャ
ビビッチャウ (日本語)尻込みしてしまう
ビビンチョ (関西語)ケチ。汚い奴
vesiya- 遊女。娼婦
ベシヤー
メシヤ (日本語)飯屋(飯盛り女)
vesma 家。住居
ベスマ
エスマイ (日本古語)家(え) 住居(すまい)
vo 最も多い
ヴォー
オー (日本語)多
vokinna 大きな。満ちた。覆われた
ヴォーキンナ
オーキナ (日本語)大きな
vyaggha 虎
ビャッガ
ビャッコ (日本語)白虎(は当て字)
vyamha 宮殿。王宮。天宮
ビヤムハ
ミヤ (日本語)宮・みや
vyasana 損害。災厄。損失。不幸
ヴャサナ
ワヤサナ (中部語)ワヤ(損害)さな
vyakhyata 説明した。書いた。記した。数えた
ビヤーキヤ一タ
ミヨーキヤータ (中部語)見様(みよう)書いた
vya-dhi 病気。病変。体調の狂い
ビャーディ
ビヤウデイ (南九州語)病、出る
ビョーキ (日本語)病気
vya-dheti 病気に悩む。病気で苦しむ
ビヤーヂチ
ビヤウデテ (日本語)病、出て(悩む。苦しむ)
samvaddhana 生ませ育成する。生長させる
サムバッダナ
サムバダナ (日本語)産婆だな
samsina 失意。落ち目。消失。落下
サムシナ
サムシナ (関西語)淋びしいな
sakasata 逆さ。間違い。偽り
サカサタ
サカサタイ (北九州語)逆さだ
サカサダ (日本語) 逆さだ
sangacchati 参加する。集会する。
サンガッチャチ
サンカシチャッテ (日本語〉参加しちゃって
sanganika- 参加する。衆に交わる
サンガニカー
サンガニイコー (日本語)参加に行こう
サンガニイコー (日本語)僧伽(サンガ)(寺)に行こう
sanga 僧伽(サンガ)(寺)
サンガ
サンガツドウ (日本語)僧伽(サンガ)集う。三月堂
sattha 去った。捨てた。
サッタ
サッタ (日本語)去った
savan 騒ぐ。騒音
サバン
サワグ (日本語)騒ぐ。騒音
サウオン (日本語)騒音(当て字)
saatti 刀。剣。槍
サッチ
サシモノ (日本語)差し物。刺し物
sada 一定。常に
サダー
サダ (日本語)定・さだ
santi 静寂。寂滅
サンチ
サミシ (日本語)寂し。淋し
sandhavati 走りまわる
サンダーバチ
サンザンバシー (南九州語)散々走り
sapariyanta 制限された。思うようにならない
サパリヤンタ
サッバリヤンカ (関西語)さっぱりじゃないか
sabba すべて。一切の
サッバ
サッパシ (日本語)さっぱし。さっぱり
sabbaji 一切勝者
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『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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古代史の画像
2010年5月10日月曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(5)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:26~29頁
vikil-anika 見切る。放棄する
ビキラーニカ
ミキラネエカ (関東語)見切らねえか
vikujjhita 吃驚した。怒られた。叱られた
ビクッジタ
ビクットシタ (日本語)びくっとした
vica-ra 見て下さい。ご覧あれ。伺察。考察
ビチャーラ
ミショーレ (沖縄語)見て下さい
vica-rati 指導する。監督する。調査する
ビチャーレチ
ミチャーレチ (南九州語)(面倒)見てやれ
vitakka 探す。求める。尋ねる。思惟する
ビタッカ
ミタカ (日本語)見たか?
vida-reti 散乱。引き裂く。乱裂
ビダーレチ
ミダレテ (日本語)乱れて
vidaleti 荒らす。破壊する
ビダーレチ
ヒドーアレテ (関西語)ひどく荒れて
vidita 見出した。見つけた。知れた
ビディタ
ミデタ (南九州語)見出した。見つけた
vidu 秀才。知恵者。賢明な
ビヅー
ヒーヅ (日本語)秀づ
vidhunati 振る。振り払う。皮を剥ぐ
ビドフーナチ
ヒドーフリナス (日本古語)酷く振り放す
vidhura 風来坊。荷物もない。哀れな
ビドフラ
ヒドイフウライボウ (日本語)酷い風来坊
vidhu-pita 滅びた。滅亡した。壊れた
ビドフーピタ
ヒドーホロビタ (関西語)ひどく滅びた
vinattha 消失した。破滅した
ヴィナッタ
ムイナッタ (南九州語)無になった
vinadati 苛立(いらだ)ち。叱る。叫ぶ
ヴィナダチ
イラダチ (日本語)苛立ち
vinati 織る。織り上がる
ヴィナチ
オイナス (南九州古語)織り成す
vinayati 指導する。訓練する
ビナヤチ
ミナヤッテ (日本語)皆やって(くれよ)
ミナヤッテ (関西語)皆な総掛かりで(指導する)
vipara-mosa- 見張る。待ち伏せる
ビパラーモーサ
ミハイモサ (南九州古語)見張ります
vipassana- 観察。観法。見る。見張り
ビパスサナー
ミマッサナ (関西語)見まっさな(見ますよ)
vipubbaka 膿みただれた
ビプウブバカ
ヒフウムバカリ (日本語)皮膚、膿むばかり
vjppakata 引っ掛かった。中断した。未完了
ビッパカタ
ヒッカカッタ (日本語)引っ掛かった
vippa-leti 引っ張る。弓を引く。拡大する
ビッパーレチ
ヒッパレチ (南九州語)引っ張れち
viya いや。否
ビヤ
イヤ (日本語)いや。否
viyatta 見抜く。聡明。有能。意見の違う
ビヤッタ
ミヤッタ (関西語)見られた
viya-panna 失迷した。瞋恚の
ビヤーパンナ
ミヤハンナ (南九州語)見ないで
viya-yata 全てを捧げた。差し出した
ビヤーヤタ
ミナヤッタ
ミナヤッタ (関西語)全部遣った
virati 開き(間隔)。離れる
ビラチ
ヒラキ (日本語)開き(間隔)
viriccati 下痢
ビリッチャチ
ビリクソ (南九州語)下痢
ビリ (日本語)ビリ。尻。最後
virikhati 掻く。引っ掻く。掻き擦る
ビリカチ
ビリカキ (日本語)びりびり掻く
ヒリヒリ (日本語)掻いた跡の痛み
viliyati 溶ける。無くなる。没する
ビリヤチ
ビリッヤチ (南九州語)捻り潰すとき
vivitta 尻込みした。離れた
ビビッタ
ビビッタ (日本語)尻込みした
visama 不様な。異様な。不正な。無体な
ヴィサマ
ブザマ (日本語)不様。無体
visa-da ふさぐ。落胆。意気消沈
ヴィサーダ
フサイダ (日本語)ふさいだ
visinna 微塵にする。粉砕した
ビシンナ
ミジンニ (日本語)微塵に(微塵は当て字)
visissati 目立つ。引き立っ。他と異なる
ビシッサチ
ビシッサス (関西語)ビシッとさせる
vesum 別・べつ
ベスム
ベツ (日本語)別・べつ
visu-ka 見世物。芝居。演芸
ビスーカ
ミスーカ (南九州語)見せようか
『参考』
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vikil-anika 見切る。放棄する
ビキラーニカ
ミキラネエカ (関東語)見切らねえか
vikujjhita 吃驚した。怒られた。叱られた
ビクッジタ
ビクットシタ (日本語)びくっとした
vica-ra 見て下さい。ご覧あれ。伺察。考察
ビチャーラ
ミショーレ (沖縄語)見て下さい
vica-rati 指導する。監督する。調査する
ビチャーレチ
ミチャーレチ (南九州語)(面倒)見てやれ
vitakka 探す。求める。尋ねる。思惟する
ビタッカ
ミタカ (日本語)見たか?
vida-reti 散乱。引き裂く。乱裂
ビダーレチ
ミダレテ (日本語)乱れて
vidaleti 荒らす。破壊する
ビダーレチ
ヒドーアレテ (関西語)ひどく荒れて
vidita 見出した。見つけた。知れた
ビディタ
ミデタ (南九州語)見出した。見つけた
vidu 秀才。知恵者。賢明な
ビヅー
ヒーヅ (日本語)秀づ
vidhunati 振る。振り払う。皮を剥ぐ
ビドフーナチ
ヒドーフリナス (日本古語)酷く振り放す
vidhura 風来坊。荷物もない。哀れな
ビドフラ
ヒドイフウライボウ (日本語)酷い風来坊
vidhu-pita 滅びた。滅亡した。壊れた
ビドフーピタ
ヒドーホロビタ (関西語)ひどく滅びた
vinattha 消失した。破滅した
ヴィナッタ
ムイナッタ (南九州語)無になった
vinadati 苛立(いらだ)ち。叱る。叫ぶ
ヴィナダチ
イラダチ (日本語)苛立ち
vinati 織る。織り上がる
ヴィナチ
オイナス (南九州古語)織り成す
vinayati 指導する。訓練する
ビナヤチ
ミナヤッテ (日本語)皆やって(くれよ)
ミナヤッテ (関西語)皆な総掛かりで(指導する)
vipara-mosa- 見張る。待ち伏せる
ビパラーモーサ
ミハイモサ (南九州古語)見張ります
vipassana- 観察。観法。見る。見張り
ビパスサナー
ミマッサナ (関西語)見まっさな(見ますよ)
vipubbaka 膿みただれた
ビプウブバカ
ヒフウムバカリ (日本語)皮膚、膿むばかり
vjppakata 引っ掛かった。中断した。未完了
ビッパカタ
ヒッカカッタ (日本語)引っ掛かった
vippa-leti 引っ張る。弓を引く。拡大する
ビッパーレチ
ヒッパレチ (南九州語)引っ張れち
viya いや。否
ビヤ
イヤ (日本語)いや。否
viyatta 見抜く。聡明。有能。意見の違う
ビヤッタ
ミヤッタ (関西語)見られた
viya-panna 失迷した。瞋恚の
ビヤーパンナ
ミヤハンナ (南九州語)見ないで
viya-yata 全てを捧げた。差し出した
ビヤーヤタ
ミナヤッタ
ミナヤッタ (関西語)全部遣った
virati 開き(間隔)。離れる
ビラチ
ヒラキ (日本語)開き(間隔)
viriccati 下痢
ビリッチャチ
ビリクソ (南九州語)下痢
ビリ (日本語)ビリ。尻。最後
virikhati 掻く。引っ掻く。掻き擦る
ビリカチ
ビリカキ (日本語)びりびり掻く
ヒリヒリ (日本語)掻いた跡の痛み
viliyati 溶ける。無くなる。没する
ビリヤチ
ビリッヤチ (南九州語)捻り潰すとき
vivitta 尻込みした。離れた
ビビッタ
ビビッタ (日本語)尻込みした
visama 不様な。異様な。不正な。無体な
ヴィサマ
ブザマ (日本語)不様。無体
visa-da ふさぐ。落胆。意気消沈
ヴィサーダ
フサイダ (日本語)ふさいだ
visinna 微塵にする。粉砕した
ビシンナ
ミジンニ (日本語)微塵に(微塵は当て字)
visissati 目立つ。引き立っ。他と異なる
ビシッサチ
ビシッサス (関西語)ビシッとさせる
vesum 別・べつ
ベスム
ベツ (日本語)別・べつ
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2010年5月9日日曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(4)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:22~25頁
bha-sa- 言説。談義。噂話。会議
ヴハーサー
ウワサ (日本語)噂
bho 君。貴方。坊ちゃん。坊や。友よ
ボー
ボー (日本語)坊
makkha 偽善。嘘。悪意
マッカ
マッカ (日本語)真っ赤(な嘘)
maggana- 求める。欲求。探求
マッガナー
マグ (日本語)求める。覓
majja-ra 猫
マッジャーラ
マヤー (沖縄語)猫
ジャレル (日本語)じゃれる
matikata 平地。馬鍬で平らにした土地
マチカタ
マチカタ (日本語)町方。町
maddita 混ぜた。攪ぜた
マッディタ
マッジタ (南九州語)混ぜた。攪ぜた
マゼタ (日本語) 混ぜた。攪ぜた
mamaya-na- 我がまま。我執
ママヤーナー
ワガママヤナー (関西語)我が儘やなー
mahila- 婦人。女性
マヒラー
オマヒラ (日本古語)お前等。御前
ma-nava 学童。若いバラモン
マーナヴァ
マナブ (日本語)学ぶ
ma-ya- まやかし。魔術。幻術。たぶらかし
マーヤー
マヤカシ (日本語)まやかし
midai 椅子。縁台
ミダイ
ミダイ (日本語)御台
mukha 向かうもの。相手の顔面。人り口。門
ムカ
ムカ (日本語)向
muccha- 夢中。混迷。気絶
ムッチャー
ムチャ (日本語)無茶
ムチュー (日本語)夢中
muta 思った。考えた所の
ムタ
オムタ (南九州語)思った
ya ……だ。……の所のものだ
ヤ
ヤ (関西語)……だ。……の所のものだ
yat 努力する。励む。仕事をする
ヤッ
ヤッ (南九州語)やる。する。行なう
ヤル (日本語) やる。する。行なう
yamati やめて。自制する。抑制する
ヤマチ
ヤメテ (日本語)やめて
ya-cana- 乞い求める。懇願する
ヤーチャナー
ヤッテーナー (関西語)やってーナー
yutta 結った。結んだ。熱中した
ユッタ
ユッタ (日本語)(髪を)結った
yotta 撚(よ)ったもの。紐。縄。綱
ヨッタ
ヨッタ (日本語)撚った
yogga 良い。適当な
ヨッガ
ヨカ (南九州語)良か
yoni 胎。子宮。生。起源。国生み
ヨニ
ヨニデル (日本語)世に出る=ヨニ出る
rati 楽。楽しい。喜び。無苦
ラチ (沖縄語形)楽
ラキ (南九州語)楽。安楽。無苦
roga 病気
ロガ
ローガイ (日本古語)労咳(肺結核)
lafka 軽い。簡単。簡易
ラフカ
ラクカ (南九州語)楽か=軽い。簡単
vakka 曲がった
ヴァッカ
ワッカ (関東語)輪っか。円形のもの
vacca 坊や。子牛
バッチャ
ボッチサン (日本語)坊っちゃん
vaddhi 大層。大変。増大。繁栄。利息
ヴァッデイ
ワッデイ (南九州語)大層。大変。大量
vainin 商人
ヴァイニン
バイニン (日本語)売人
vadati 告げる。告知。言う
バダチ
バダチ (日本語)場立ち=競売人・取引員
vamha 軽蔑
バムハ
ハンパ (日本語)半端・はんぱ
val1abbha 愛くるしい。愛すべき。可愛い
バラッバ
ワラベ (日本語)童・わらベ
vasala 賤しい人々。売女
バサラ
バサラ (日本語)下品な者。外道
vikattna 刀・小刀
ビカッタナ
ヒカッタナ (日本語) 光ったな
ミカタナ (日本古語)御刀
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ヴハーサー
ウワサ (日本語)噂
bho 君。貴方。坊ちゃん。坊や。友よ
ボー
ボー (日本語)坊
makkha 偽善。嘘。悪意
マッカ
マッカ (日本語)真っ赤(な嘘)
maggana- 求める。欲求。探求
マッガナー
マグ (日本語)求める。覓
majja-ra 猫
マッジャーラ
マヤー (沖縄語)猫
ジャレル (日本語)じゃれる
matikata 平地。馬鍬で平らにした土地
マチカタ
マチカタ (日本語)町方。町
maddita 混ぜた。攪ぜた
マッディタ
マッジタ (南九州語)混ぜた。攪ぜた
マゼタ (日本語) 混ぜた。攪ぜた
mamaya-na- 我がまま。我執
ママヤーナー
ワガママヤナー (関西語)我が儘やなー
mahila- 婦人。女性
マヒラー
オマヒラ (日本古語)お前等。御前
ma-nava 学童。若いバラモン
マーナヴァ
マナブ (日本語)学ぶ
ma-ya- まやかし。魔術。幻術。たぶらかし
マーヤー
マヤカシ (日本語)まやかし
midai 椅子。縁台
ミダイ
ミダイ (日本語)御台
mukha 向かうもの。相手の顔面。人り口。門
ムカ
ムカ (日本語)向
muccha- 夢中。混迷。気絶
ムッチャー
ムチャ (日本語)無茶
ムチュー (日本語)夢中
muta 思った。考えた所の
ムタ
オムタ (南九州語)思った
ya ……だ。……の所のものだ
ヤ
ヤ (関西語)……だ。……の所のものだ
yat 努力する。励む。仕事をする
ヤッ
ヤッ (南九州語)やる。する。行なう
ヤル (日本語) やる。する。行なう
yamati やめて。自制する。抑制する
ヤマチ
ヤメテ (日本語)やめて
ya-cana- 乞い求める。懇願する
ヤーチャナー
ヤッテーナー (関西語)やってーナー
yutta 結った。結んだ。熱中した
ユッタ
ユッタ (日本語)(髪を)結った
yotta 撚(よ)ったもの。紐。縄。綱
ヨッタ
ヨッタ (日本語)撚った
yogga 良い。適当な
ヨッガ
ヨカ (南九州語)良か
yoni 胎。子宮。生。起源。国生み
ヨニ
ヨニデル (日本語)世に出る=ヨニ出る
rati 楽。楽しい。喜び。無苦
ラチ (沖縄語形)楽
ラキ (南九州語)楽。安楽。無苦
roga 病気
ロガ
ローガイ (日本古語)労咳(肺結核)
lafka 軽い。簡単。簡易
ラフカ
ラクカ (南九州語)楽か=軽い。簡単
vakka 曲がった
ヴァッカ
ワッカ (関東語)輪っか。円形のもの
vacca 坊や。子牛
バッチャ
ボッチサン (日本語)坊っちゃん
vaddhi 大層。大変。増大。繁栄。利息
ヴァッデイ
ワッデイ (南九州語)大層。大変。大量
vainin 商人
ヴァイニン
バイニン (日本語)売人
vadati 告げる。告知。言う
バダチ
バダチ (日本語)場立ち=競売人・取引員
vamha 軽蔑
バムハ
ハンパ (日本語)半端・はんぱ
val1abbha 愛くるしい。愛すべき。可愛い
バラッバ
ワラベ (日本語)童・わらベ
vasala 賤しい人々。売女
バサラ
バサラ (日本語)下品な者。外道
vikattna 刀・小刀
ビカッタナ
ヒカッタナ (日本語) 光ったな
ミカタナ (日本古語)御刀
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2010年5月8日土曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(3)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:18~21頁
pakkatita 沸かした
パッカチタ
ワカシタ (日本語)沸かした
pataka 綿布
パタカ
ワタ (日本語)綿
pata-ka- 旗。幡
パターカ
ハタ (日本語)旗。幡
patikutta 罰された。非難された。叱られた
パチクッタ
バチクッタ (日本語)罰くった
patisedhaka 防ぐ。塞ぐ。遮蔽する
パチセダカ
バッチーフセダカ (南九州語)バッチリ防いだか
pada 足。歩く。足跡
パダ
ハダシ (日本語)裸足
paduma 蓮。ハス。蓮の花
パヅマ
ハス (日本語) 蓮。ハス
panujjati 排除される。ハネられる
パヌッジャチ
ハヌッジャチ (南九州語)ハネるんだって
parokkha 遠い彼方。遥かな遠方。見えない所
パロツカ
ハルカ (日本語)遥か
pavivitta 尻込みした。後退した。離れた
パビビッタ
ビビッタ (日本語)尻込みした。後退した。
pavitta 入った。訪れた
バビッタ
ハイッタ (日本語)入った
pasatta 褒められた。勝った
パサッタ
マサッタ (日本語)勝った。勝った
pahaya 捨ててしまう
パハーヤ
パーヤ (関西語)パーや=駄目だと捨ててしまう
pagabbiya 威張り屋。傲慢
パーガッビヤ
バカ ミヤ (日本古語)馬鹿 見や=威張り屋への軽蔑
バカ ミイヤ (関西語)馬鹿見いや=威張りやへの軽蔑
pata 落ちる。投げる
パタ
パタ (日本語)パタと落ちる
pati 鉢
パーチ
ハチ (日本語)鉢・はち・ばち
pada 足
パーダ
ハダシ (日本語)裸足・はだし
padaka いちばん基底にあるもの。基礎のもの
パーダカ
ハダカ (日本語)裸・裸体
pitu 父から生まれたもの
ピツ
ヒト (日本語〉人・ひと
pita 浸した。ひたした
ピタ
ヒタシタ (日本語)浸した
puthujjana 普通人。凡人
プツウッジャナ
フツウジャナ (日本語)普通じゃな
フツウジン (日本語)普通人
puthutta 移った。異なった。変化した
プツッタ
ウツッタ (日本語)移った
petatta 飢えて、へたばった。衰弱した
ぺタッタ
ヘタッタ (関西語)へたった。へたばった
pha-ti 増加。増大。増殖
プァーチ
フエテ (日本語)増えて。殖えて
phaleti 破裂。裂く。切り裂く。破る
パレチ
ハレツ (日本語)(破裂は当て字)
ヤレテ (日本語)破(や)れて
baddha 捕まった。逮捕された
バッダ
バッダ (南九州語)罰だ
バッダ (日本語)罰だ
balisa 釣針
バリサ
ハリ・バリ (日本語)針。釣針
bidala 乱れた。裂けた。竹などの切れはし
ビダラ
ミダラ (日本語)淫ら
ミダレ (日本語)乱れ
bindu 水滴。しずく。点。簡潔
ビンヅ
ミズ (日本語)水
bubhukkhita 食いたい。飢えた
ブブッケクヒタ
ブブヅケクヒタイ (日本語)ぶぶ漬け(茶漬け)食いたい
bhanati 話。話す。語る
バナチ
ハナシ (日本語)話。話し
bhandu 禿頭の。頭に毛のない
バンヅ
ボーヅ (日本語)坊主(この語への当て字)
phusita 雨
プシタ
フシタ (南九州語)降(ふ)した=降りました
bhatti 信頼。尊信。信仰
バッチ
バッチー (南九州語)バッチリ
bha-nu 真紅の。深紅の
バーヌ
ベニ (日本語)紅
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パッカチタ
ワカシタ (日本語)沸かした
pataka 綿布
パタカ
ワタ (日本語)綿
pata-ka- 旗。幡
パターカ
ハタ (日本語)旗。幡
patikutta 罰された。非難された。叱られた
パチクッタ
バチクッタ (日本語)罰くった
patisedhaka 防ぐ。塞ぐ。遮蔽する
パチセダカ
バッチーフセダカ (南九州語)バッチリ防いだか
pada 足。歩く。足跡
パダ
ハダシ (日本語)裸足
paduma 蓮。ハス。蓮の花
パヅマ
ハス (日本語) 蓮。ハス
panujjati 排除される。ハネられる
パヌッジャチ
ハヌッジャチ (南九州語)ハネるんだって
parokkha 遠い彼方。遥かな遠方。見えない所
パロツカ
ハルカ (日本語)遥か
pavivitta 尻込みした。後退した。離れた
パビビッタ
ビビッタ (日本語)尻込みした。後退した。
pavitta 入った。訪れた
バビッタ
ハイッタ (日本語)入った
pasatta 褒められた。勝った
パサッタ
マサッタ (日本語)勝った。勝った
pahaya 捨ててしまう
パハーヤ
パーヤ (関西語)パーや=駄目だと捨ててしまう
pagabbiya 威張り屋。傲慢
パーガッビヤ
バカ ミヤ (日本古語)馬鹿 見や=威張り屋への軽蔑
バカ ミイヤ (関西語)馬鹿見いや=威張りやへの軽蔑
pata 落ちる。投げる
パタ
パタ (日本語)パタと落ちる
pati 鉢
パーチ
ハチ (日本語)鉢・はち・ばち
pada 足
パーダ
ハダシ (日本語)裸足・はだし
padaka いちばん基底にあるもの。基礎のもの
パーダカ
ハダカ (日本語)裸・裸体
pitu 父から生まれたもの
ピツ
ヒト (日本語〉人・ひと
pita 浸した。ひたした
ピタ
ヒタシタ (日本語)浸した
puthujjana 普通人。凡人
プツウッジャナ
フツウジャナ (日本語)普通じゃな
フツウジン (日本語)普通人
puthutta 移った。異なった。変化した
プツッタ
ウツッタ (日本語)移った
petatta 飢えて、へたばった。衰弱した
ぺタッタ
ヘタッタ (関西語)へたった。へたばった
pha-ti 増加。増大。増殖
プァーチ
フエテ (日本語)増えて。殖えて
phaleti 破裂。裂く。切り裂く。破る
パレチ
ハレツ (日本語)(破裂は当て字)
ヤレテ (日本語)破(や)れて
baddha 捕まった。逮捕された
バッダ
バッダ (南九州語)罰だ
バッダ (日本語)罰だ
balisa 釣針
バリサ
ハリ・バリ (日本語)針。釣針
bidala 乱れた。裂けた。竹などの切れはし
ビダラ
ミダラ (日本語)淫ら
ミダレ (日本語)乱れ
bindu 水滴。しずく。点。簡潔
ビンヅ
ミズ (日本語)水
bubhukkhita 食いたい。飢えた
ブブッケクヒタ
ブブヅケクヒタイ (日本語)ぶぶ漬け(茶漬け)食いたい
bhanati 話。話す。語る
バナチ
ハナシ (日本語)話。話し
bhandu 禿頭の。頭に毛のない
バンヅ
ボーヅ (日本語)坊主(この語への当て字)
phusita 雨
プシタ
フシタ (南九州語)降(ふ)した=降りました
bhatti 信頼。尊信。信仰
バッチ
バッチー (南九州語)バッチリ
bha-nu 真紅の。深紅の
バーヌ
ベニ (日本語)紅
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
2010年5月7日金曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(2)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:14~17頁
avara 保護する。遮って
アーバーラ
アバラ (日本語)助骨・あばら骨
ud- 大
ウド (南九州語)大人
ウヅ (古日本語)大量。うづ高く
uggamana 上昇
ウッガマナ
アゲマン (日本語)上げ運命(まん)
ugghhatta 壊れた。砕かれた
ウッガッタ
ウッガッタ (南九州語)壊した
ucca-ra 排泄物。大便
ウッチャーラ
ウッチャル (関東語)捨てる
uccindati 死んだ。死滅した
ウッチンダチ
ウッチンダチ (南九州語)死んだって
uttha-ti 立ち上がる。轍する
ウッターチ
ウッタチ (南九州語)立ち上がり
ekodi 一方的。専一
エコディ
エコジ(イコジ) (日本語)一方的。専一。頑固
kankhayati 舞う
カンカアヤチ
カンカアヤシイ (日本語)感か?怪しい
khilaja-ta 不機嫌
キラジャータ
キライヤッタ (関西語)嫌いだった
chindati 切り、断つ。
チンダチ
キッダチ (南九州語)切っ断ち・断ち切っ
tanduIa 稲。米
タンヅラ
タンヅリ (南九州語)田の料理(田の御馳走)
thati 立ち
タチ
タチ (日本語)立ち
tunba 壷
ツンバ
ツボ (日本語)壷
dassana 認める。見る
ダッサナ
ダッサナ (関西語)認める
dassti 示す。見せる
ダッセチ
ダセチ (南九州語)出せち(出して示せ)
dipa 島。洲
ディパ
ジマ (日本語)島。洲
dunnaya 難解な
ドゥンナヤ
ドンナヤ (関西語)難解か
dvara 扉。戸。門
ドバラ
トバリ。トビラ (日本語)扉。戸。門
dhuva 永遠の。恒久の
ドゥヴァ
トワ (日本語)永遠の。恒久の
na ない。無
ナ
ナイ (日本語)無い
nadati 泣き。泣き叫ぶ
ナダチ
ナッダッ (南九州語)泣き出す
nandaka 嬉しい
ナンダカ
ナンダカウレシイ (日本語)何だか嬉しい
namati 軟化する。曲げる
ナメチ
ナメシ (日本語)(曲るように皮を)鞣(なめ)す
naha- 綯う(な)。結う
ナハー
ナワ・ナフ (日本語)縄。綯(な)う
ni 無い。否。
ニ
ネ (南九州語)無い
na-ma 名。名前
ナーマ
ナー・ナマエ (日本語)名。名前
papa 水
パパ
ブブ (日本語)水(幼児語)
puth 打つ。叩く
プツ
ブツ (日本語)打つ。叩く
parikitteti 宣言する。賞賛する
パリキッテチ
ハリキッテ (日本語)意気揚々と
parikha- 濠。掘
パリカー
ホリカハ (日本語)堀川。濠
pariggaheti 探す。探求する。学ぶ
パリッガエチ
ホリカエシ (日本語)掘り返し(探求する)
pariya-hate 打たれた。やられた
パリヤーハタ
ハリヤハッタ (関西語)お打ちになった
pariva-rita 囲繞した。尊敬された
パリバーリタ
ハリマワシタ (日本語)張り回した
pareta しくじった。失敗した.負けた
パレタ
バレタ (日本語)しくじった。暴露した
nissata 逃げた。脱出した
ニッサタ
ニゲサッタ (日本額)逃げ去った
『参考』
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avara 保護する。遮って
アーバーラ
アバラ (日本語)助骨・あばら骨
ud- 大
ウド (南九州語)大人
ウヅ (古日本語)大量。うづ高く
uggamana 上昇
ウッガマナ
アゲマン (日本語)上げ運命(まん)
ugghhatta 壊れた。砕かれた
ウッガッタ
ウッガッタ (南九州語)壊した
ucca-ra 排泄物。大便
ウッチャーラ
ウッチャル (関東語)捨てる
uccindati 死んだ。死滅した
ウッチンダチ
ウッチンダチ (南九州語)死んだって
uttha-ti 立ち上がる。轍する
ウッターチ
ウッタチ (南九州語)立ち上がり
ekodi 一方的。専一
エコディ
エコジ(イコジ) (日本語)一方的。専一。頑固
kankhayati 舞う
カンカアヤチ
カンカアヤシイ (日本語)感か?怪しい
khilaja-ta 不機嫌
キラジャータ
キライヤッタ (関西語)嫌いだった
chindati 切り、断つ。
チンダチ
キッダチ (南九州語)切っ断ち・断ち切っ
tanduIa 稲。米
タンヅラ
タンヅリ (南九州語)田の料理(田の御馳走)
thati 立ち
タチ
タチ (日本語)立ち
tunba 壷
ツンバ
ツボ (日本語)壷
dassana 認める。見る
ダッサナ
ダッサナ (関西語)認める
dassti 示す。見せる
ダッセチ
ダセチ (南九州語)出せち(出して示せ)
dipa 島。洲
ディパ
ジマ (日本語)島。洲
dunnaya 難解な
ドゥンナヤ
ドンナヤ (関西語)難解か
dvara 扉。戸。門
ドバラ
トバリ。トビラ (日本語)扉。戸。門
dhuva 永遠の。恒久の
ドゥヴァ
トワ (日本語)永遠の。恒久の
na ない。無
ナ
ナイ (日本語)無い
nadati 泣き。泣き叫ぶ
ナダチ
ナッダッ (南九州語)泣き出す
nandaka 嬉しい
ナンダカ
ナンダカウレシイ (日本語)何だか嬉しい
namati 軟化する。曲げる
ナメチ
ナメシ (日本語)(曲るように皮を)鞣(なめ)す
naha- 綯う(な)。結う
ナハー
ナワ・ナフ (日本語)縄。綯(な)う
ni 無い。否。
ニ
ネ (南九州語)無い
na-ma 名。名前
ナーマ
ナー・ナマエ (日本語)名。名前
papa 水
パパ
ブブ (日本語)水(幼児語)
puth 打つ。叩く
プツ
ブツ (日本語)打つ。叩く
parikitteti 宣言する。賞賛する
パリキッテチ
ハリキッテ (日本語)意気揚々と
parikha- 濠。掘
パリカー
ホリカハ (日本語)堀川。濠
pariggaheti 探す。探求する。学ぶ
パリッガエチ
ホリカエシ (日本語)掘り返し(探求する)
pariya-hate 打たれた。やられた
パリヤーハタ
ハリヤハッタ (関西語)お打ちになった
pariva-rita 囲繞した。尊敬された
パリバーリタ
ハリマワシタ (日本語)張り回した
pareta しくじった。失敗した.負けた
パレタ
バレタ (日本語)しくじった。暴露した
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ニッサタ
ニゲサッタ (日本額)逃げ去った
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ウワイト
古代史の画像
2010年5月6日木曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋(1)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:10~13頁
akanta 不愉快な。駄目。嫌いだ。
アカンタ
アカンテ (関西語)不愉快な。駄目。嫌だ
akiccaka-ra 仕事をやめる。努めを怠る
アキッチャカーラ
アキチャックカラ (日本語)飽ちゃったから
akkamati 近付く。攻撃する
アッカマチ
アツカマシ (日本語)厚かましい。近付く
akkosa 悪口。悪罵。そしり。陰口
アッコーサ
アッコース (日本語)悪口す。そしる。陰口する
akkhana 駄目。不運。困難
アッカナ
アッカナ (和歌山語)駄目。不運。困難
akkhanti 駄目だ。きっと耐えられない
アッカンチ
アカンテ (関西語)駄目だ。きっと耐えられない
agaru 揚がる。重くない
アガル
アガル (日本語)揚がる。重くない
aggatta 最上。最上位。最高位
アッガッタ
アガッタ (日本語)上がった
acci 焔。火焔
アッチ
アッチ (日本語)熱っち
atita 過ぎ去った
アチイッタ
アッチイッタ (日本語)あっちへ行った
atta 有った。見つけた。得た
アッタ
アッタ (日本語)有った。見つけた。得た
attan 私。僕。自分
アッタン
アッタンドン (南九州語) 私。僕。自分(達)
atho その後。また。さらに
アト
アト (日本語)後
ada-na だらしない姿。けち
アダーナ
アダナ (日本語)仇な(乱れた・だらしない)姿
anannatha- その通りに。異ならずに
アナンナター
アンナニナッタ (日本語)その通りになった
ana-dariya 侮り。軽蔑。不信
アナーダリヤ
アナドリ (日本語)侮り。軽蔑
anusatthi 訓戒
アヌーサットヒ
アノサトシ
anta 目的。目標。達人。終結
アンタ
アンタ (南九州語)あれは。目的。目標。人
apama-ra 暴れ回るもの。異常者
アパマーラ
アバレマワル (日本語)暴れ回る
abbhanjati 油を塗る。油薬を貼る
アブブハンジャチ
アブラハンジャチ (南九州語)油薬貼んじゃち
abhinigganhana- 禁止。止める。抑止
アブヒンイッガンハナー
アカヘンイカンワナ (関西語)駄目だ、やめなさい
abhinissata 逃げ去った。逃亡した
アブヒニッサタ
アブネニッサッタ (南九州語)危ない逃げ去った
abhippavuttha 大雨が降った
アブイッパブッタ
アメイッパイフッタ (日本語)雨いっぱい降った
abhisatta 悪罵を浴びせた。呪った
アビサッタ
アビセタ (日本語)浴びせた
amata 甘露。甘茶。旨い飲み物
アマタ
アマチャ (日本語)甘茶
amma 尼さん。奥さん。お姉さん
アムマ
アマ (日本語)尼。女性
aru 肌荒れ。傷。瘡・かさ
アル
アル (日本語)荒る
avakaroti 暴く。破る。無効にする
アバカロチ
アバカレテ (日本語)暴かれて
asa-ta 不快な
アサータ
アセッタ (日本語)焦った
asondi 遊女。酔わない女
アソンディ
アソンデ (日本語)遊んで
assa 有るだろう
アッサ
アッサ (南九州語)有るだろう
a-kankhati 願う。希望する
アーカンカチ
アカンカテ (関西語)駄目でも何とか
a-tura 苦悩している。病んでいる
アーツラ
アーツラ (関西語)ああ辛い
a-yatta 努力した。勤勉にやった
アーヤッタ
アーヤッタ (日本語)ああ!やった!
A-yutte 結った。結んだ。軛された
アーユッタ
アーユッタ (日本語)ああ結った
a-va-ta 穴
アーバータ
アバタ (日本語)皮膚に出来る穴
『参考』
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akanta 不愉快な。駄目。嫌いだ。
アカンタ
アカンテ (関西語)不愉快な。駄目。嫌だ
akiccaka-ra 仕事をやめる。努めを怠る
アキッチャカーラ
アキチャックカラ (日本語)飽ちゃったから
akkamati 近付く。攻撃する
アッカマチ
アツカマシ (日本語)厚かましい。近付く
akkosa 悪口。悪罵。そしり。陰口
アッコーサ
アッコース (日本語)悪口す。そしる。陰口する
akkhana 駄目。不運。困難
アッカナ
アッカナ (和歌山語)駄目。不運。困難
akkhanti 駄目だ。きっと耐えられない
アッカンチ
アカンテ (関西語)駄目だ。きっと耐えられない
agaru 揚がる。重くない
アガル
アガル (日本語)揚がる。重くない
aggatta 最上。最上位。最高位
アッガッタ
アガッタ (日本語)上がった
acci 焔。火焔
アッチ
アッチ (日本語)熱っち
atita 過ぎ去った
アチイッタ
アッチイッタ (日本語)あっちへ行った
atta 有った。見つけた。得た
アッタ
アッタ (日本語)有った。見つけた。得た
attan 私。僕。自分
アッタン
アッタンドン (南九州語) 私。僕。自分(達)
atho その後。また。さらに
アト
アト (日本語)後
ada-na だらしない姿。けち
アダーナ
アダナ (日本語)仇な(乱れた・だらしない)姿
anannatha- その通りに。異ならずに
アナンナター
アンナニナッタ (日本語)その通りになった
ana-dariya 侮り。軽蔑。不信
アナーダリヤ
アナドリ (日本語)侮り。軽蔑
anusatthi 訓戒
アヌーサットヒ
アノサトシ
anta 目的。目標。達人。終結
アンタ
アンタ (南九州語)あれは。目的。目標。人
apama-ra 暴れ回るもの。異常者
アパマーラ
アバレマワル (日本語)暴れ回る
abbhanjati 油を塗る。油薬を貼る
アブブハンジャチ
アブラハンジャチ (南九州語)油薬貼んじゃち
abhinigganhana- 禁止。止める。抑止
アブヒンイッガンハナー
アカヘンイカンワナ (関西語)駄目だ、やめなさい
abhinissata 逃げ去った。逃亡した
アブヒニッサタ
アブネニッサッタ (南九州語)危ない逃げ去った
abhippavuttha 大雨が降った
アブイッパブッタ
アメイッパイフッタ (日本語)雨いっぱい降った
abhisatta 悪罵を浴びせた。呪った
アビサッタ
アビセタ (日本語)浴びせた
amata 甘露。甘茶。旨い飲み物
アマタ
アマチャ (日本語)甘茶
amma 尼さん。奥さん。お姉さん
アムマ
アマ (日本語)尼。女性
aru 肌荒れ。傷。瘡・かさ
アル
アル (日本語)荒る
avakaroti 暴く。破る。無効にする
アバカロチ
アバカレテ (日本語)暴かれて
asa-ta 不快な
アサータ
アセッタ (日本語)焦った
asondi 遊女。酔わない女
アソンディ
アソンデ (日本語)遊んで
assa 有るだろう
アッサ
アッサ (南九州語)有るだろう
a-kankhati 願う。希望する
アーカンカチ
アカンカテ (関西語)駄目でも何とか
a-tura 苦悩している。病んでいる
アーツラ
アーツラ (関西語)ああ辛い
a-yatta 努力した。勤勉にやった
アーヤッタ
アーヤッタ (日本語)ああ!やった!
A-yutte 結った。結んだ。軛された
アーユッタ
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a-va-ta 穴
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アバタ (日本語)皮膚に出来る穴
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2010年5月5日水曜日
日本語の巨大ルーツ発見
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:4~9頁
日本語の文法はウラル・アルタイ語と同じだから、
それと同じ祖語から分かれたのだろうというのが在来の定義(実は仮定)で、
その歴史もルーツもまるでわかっていない。
世界の大国中こんな状態のまま停まっているのは日本語だけで、
経済だけは超大国でも、
自国語の歴史すら不明のままでは、
諸外国の人々に蔑視されてもやむを得ない。
「比較言語学の無能と自滅」
だがそれは我々日本人の責任ではない。
欧米で生まれた比較言語学のもつ根本的な誤りに原因があるからである。
言語は単語を並べて意思を伝えるものだ。
その並べ方=語順を「文法」と呼ぶが、
比較言語学は文法を分類の拠り所にしてきた。
しかしそれではその言語の出発点が、
他のどの言語と同じかという言語の系統がわかるだけで、
それ以外のことは何一つわからない。
「言語を本当に構成しているのは単語」
文法は無形の「語順」に過ぎない。
会話の全体を占め有形の文字で表現される本当の言語は「単語」である。
いま私たちが使っている厖大な量の単語が、
文法ができた数万年前から存在したはずはない。
最初は原始的な単語を並べていたに過ぎない。
人知が進むにつれて次第に新しい単語を加えながら
現在の言語に成長したのだから言語は
使う人々の文化発展の歴史を記録している。
それは「単語」が記録しているのであって、
原始時代そのままの文法は何の役にも立たない。
文法で言語を分類するシステムは
その言語の出発点とその時の近縁語を知る以外には
何の価値もない。
単語を「借用語だから駄目だ」といって切り捨てる学問では
言語の歴史も価値もわからない。
これは個人でいえば家系だけはわかるが
それ以後の履歴は何もわからないということだ。
仮にそんな「○○氏の子孫」としか書いてない履歴書を提出したとすれば、
相手は異常者とみなして採用どころか検討もしない。
履歴書で必要なのは、その人物の学歴や経歴や実績だからである。
文法だけを言語の分類基準にした過去の比較言語学は、
こんなことにさえ気づかない古い学問の遺物でしかない。
「日本語はウラル~アルタイ語の一種だ」としてきた在来の定義は、
この程度のものに過ぎなかったのである。
「借用語」
そんな誤った定義の視点では、
ウラル~アルタイ語の原始的単語以外は全て借用語にみえる。
だから「借用語だ、日本語本来のものではない」とハネのけてしまう。
だが日本語は私たちの祖先が採用し、
生命を支え続けて今日を築いた必須の生きた言葉なのだから、
新しい単語が日本語に入った歴史と、それがどんなふうに成長発展してきたか、
その正しいルーツを知ることが必要なのである。
最も原始的な単語以外は全て借用語だと切り捨てては
私たちの祖先の歴史は消去されてしまう。
近世になって言葉だけが輸入された英語のように
「他の言語だけを借りる」ことは古代には不可能だった。
それらの言葉をを話す人々が自身やってきて
次第に新しい日本人を形成したからこそ、
今の日本語が出来上がったのである。
誰が教えたか?ではなく、
それらの単語は、いっ、誰が、どんな風に、
日本語の中に加えたのか?を知ることが重要なので、
それを知らなければ、日本人の本当の歴史もわからない。
しかしそんなことがわかるのだろうか?。
今回発表する「パーリ語と日本語の関係を物語る実例と結論」は、
この疑問に、世界で初めて明快な答えを出してくれたのである。
「パーリ語とは」
仏教を世界に広めたアソカ王(古代インド・マガダ国王)の王子マヒンダが
紀元前243年スリランカに派遣されて、
スリランカ王デーバナンビヤティツサを信者にし
国民に広めた小乗(上座部)仏教の経典に
使われていた用語を、聖典という意味でパーリと呼んだ言語のことである。
アソカ王たちはインド~アーリヤ系のシンハラ人で、
その言語はシンハリ語だったから、
パーリ語は釋迦が話した言葉を記録したもので、
Sakya サキャ(塞・スキュタイ)語がインド語化した言語である。
だから今のシンハリ(スリランカ)語でもタミル語でもない。
それが何故?いっ?どんな風に?、
このあと見本ご覧にいれるように実に大量に日本語に混入し、
私たちが立派な日本語として日常使うようになったのか?。
「我が国への仏教初伝は弥生時代誕生期」
このことは誰もが我が国への仏教伝来を連想するが在来は日本の仏教は
5世紀に初めて朝鮮半島の百済から伝わったとしてきた。
それなら当時は中国仏教の最盛期だから渡来したのは全て漢訳仏典で、
そこに書かれたものは中国語だ。
それがどんなに普及しても原語のパーリ語とは無関係で、
パーリ語が我が国で大量に日常語化するはずはない。
ところが今発表する「日本語化したバーリ語」の発見数は
5000語を遥かに超えている。
これは明かに5世紀の百済仏教伝来とは無関係にパーリ語を話す人々が大量移民し、
日本語を大変貌させるだけの大勢力をもっていた事実を立証している。
「東方仏伝の指揮者ソナカと神功皇后夫妻」
その移民の時期はいっだったか?それもはっきり突き止めることができた。
アソカ王命をうけて東方へ出発したのはウッタラ宣布団とソナカ宣布団とで、
双方とも我が国に多くの遺物を残しているからである。
最初に彼等がやってきた時期は5世紀より遥かに古く、
弥生時代の開始期に一致し、
第二波の渡来は紀元前後だと特定できている。
それは卑弥呼で名高い
『魏書』の倭人の章に巴利国と不弥国が記録されているが、
巴利はパーリ。
不弥もブーミ=新国土を意味するパーリ語だからである。
そればかりではない。
神功皇后夫妻の名は共にソナカに対する当て字で
東方仏伝の指導者ソナカと同名だし、
皇后のサニワを勤めた武内宿祢のそのサニワとは、
やはりパーリ語で大臣を意味する
sajiva への当て字であるといった物証が
『記・紀』その他に充満している。
それらもすでに大量に考証済みで、
『記・紀』は今や信頼度の高い史書に変貌した。
「日本人蔑視を吹き飛ばした成果」
数個の言語が似ているだけなら偶然とか
「他人のソラ似」ということもあるが、
ご参考までにこの後に添付したサンプル語だけでも300語に近く、
それだけでもパーリ語と日本語が似ているのは偶然だ、
などという反論は完全に消滅する。
パーリ語が現代日本語の母であることと、
その単語の質の高さによってそれが古代日本文化を飛躍的に高め、
近代の日本人発展の基礎こなっていたこともまた疑う余地がない。
日本人蔑視は跡形もなく消えてしまう。
「ヒエログリフ解読を遥かに超す発見」
これはナポレオン軍がロゼッタ・ストーンを発見して欧州に持ち帰り、
それがヒエログリフ解読を可能にしたのに似るが、
それによって得られたものは、
壁画や彫刻などに残された文字から、
古代エジプトの文化僅かに読み取れただけでしかない。
それに比べるといま曲がりなりにも超大国である我が国の古代文明を、
厖大な量の言語で、
当時のまま白日のもとに明かにする今回の発見は、
日本人だけでなくアジアにおける古代人類文明の実態を明かにした、
質、量ともに希に見る巨大な発見なのである。
それは単に古代エジプト文字が読めたといった程度のものではない。
世界の一大指導勢力でありながら
従来は正体不明の孤立語を話す小さな島国人とみられてきた
日本人観がどんなに間違っていたか、
また古代日本人が当時の世界でも希な、
どんなに凄い先進文明の持ち主だったかまで徹底的に立証しているからである。
これほど強力かつ重要な言語学上の発見は、人類史上いまだかつてない。
「解けた弘法大師伝法の謎」
それはまた例えば宗教学上の永い謎もとく。
弘法大師空海は中国へ留学して
短期間にインド出身の老師の教えを吸収し、仏典の原典を読み、
永年修行に励んできた中国人の先輩たちを超えて、
法灯を授けられて日本へ持ち帰った。
これは大師の天才によるものとはされてもなお大きな謎を残してきたが、
いまパーリ語と日本語の謎が解けてみると、
言語の上でも大師が中国人先輩たちより遥かに有利だったことがよく理解できて、
大師が受けた栄誉が真実であり、それを奇跡としてきた一切の謎が解けるのである。
次に抜粋したそのサンプルは300語弱であるが、ほとんど説明なしに、
一見してご理解いただけると信じる。
それらが僅かな発音差による変化で現代語にまで移行するのは、
沖縄・南九州の、
いわゆる方言を経過した結果だということも、
よくおわかりいただけると思う。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
日本語の文法はウラル・アルタイ語と同じだから、
それと同じ祖語から分かれたのだろうというのが在来の定義(実は仮定)で、
その歴史もルーツもまるでわかっていない。
世界の大国中こんな状態のまま停まっているのは日本語だけで、
経済だけは超大国でも、
自国語の歴史すら不明のままでは、
諸外国の人々に蔑視されてもやむを得ない。
「比較言語学の無能と自滅」
だがそれは我々日本人の責任ではない。
欧米で生まれた比較言語学のもつ根本的な誤りに原因があるからである。
言語は単語を並べて意思を伝えるものだ。
その並べ方=語順を「文法」と呼ぶが、
比較言語学は文法を分類の拠り所にしてきた。
しかしそれではその言語の出発点が、
他のどの言語と同じかという言語の系統がわかるだけで、
それ以外のことは何一つわからない。
「言語を本当に構成しているのは単語」
文法は無形の「語順」に過ぎない。
会話の全体を占め有形の文字で表現される本当の言語は「単語」である。
いま私たちが使っている厖大な量の単語が、
文法ができた数万年前から存在したはずはない。
最初は原始的な単語を並べていたに過ぎない。
人知が進むにつれて次第に新しい単語を加えながら
現在の言語に成長したのだから言語は
使う人々の文化発展の歴史を記録している。
それは「単語」が記録しているのであって、
原始時代そのままの文法は何の役にも立たない。
文法で言語を分類するシステムは
その言語の出発点とその時の近縁語を知る以外には
何の価値もない。
単語を「借用語だから駄目だ」といって切り捨てる学問では
言語の歴史も価値もわからない。
これは個人でいえば家系だけはわかるが
それ以後の履歴は何もわからないということだ。
仮にそんな「○○氏の子孫」としか書いてない履歴書を提出したとすれば、
相手は異常者とみなして採用どころか検討もしない。
履歴書で必要なのは、その人物の学歴や経歴や実績だからである。
文法だけを言語の分類基準にした過去の比較言語学は、
こんなことにさえ気づかない古い学問の遺物でしかない。
「日本語はウラル~アルタイ語の一種だ」としてきた在来の定義は、
この程度のものに過ぎなかったのである。
「借用語」
そんな誤った定義の視点では、
ウラル~アルタイ語の原始的単語以外は全て借用語にみえる。
だから「借用語だ、日本語本来のものではない」とハネのけてしまう。
だが日本語は私たちの祖先が採用し、
生命を支え続けて今日を築いた必須の生きた言葉なのだから、
新しい単語が日本語に入った歴史と、それがどんなふうに成長発展してきたか、
その正しいルーツを知ることが必要なのである。
最も原始的な単語以外は全て借用語だと切り捨てては
私たちの祖先の歴史は消去されてしまう。
近世になって言葉だけが輸入された英語のように
「他の言語だけを借りる」ことは古代には不可能だった。
それらの言葉をを話す人々が自身やってきて
次第に新しい日本人を形成したからこそ、
今の日本語が出来上がったのである。
誰が教えたか?ではなく、
それらの単語は、いっ、誰が、どんな風に、
日本語の中に加えたのか?を知ることが重要なので、
それを知らなければ、日本人の本当の歴史もわからない。
しかしそんなことがわかるのだろうか?。
今回発表する「パーリ語と日本語の関係を物語る実例と結論」は、
この疑問に、世界で初めて明快な答えを出してくれたのである。
「パーリ語とは」
仏教を世界に広めたアソカ王(古代インド・マガダ国王)の王子マヒンダが
紀元前243年スリランカに派遣されて、
スリランカ王デーバナンビヤティツサを信者にし
国民に広めた小乗(上座部)仏教の経典に
使われていた用語を、聖典という意味でパーリと呼んだ言語のことである。
アソカ王たちはインド~アーリヤ系のシンハラ人で、
その言語はシンハリ語だったから、
パーリ語は釋迦が話した言葉を記録したもので、
Sakya サキャ(塞・スキュタイ)語がインド語化した言語である。
だから今のシンハリ(スリランカ)語でもタミル語でもない。
それが何故?いっ?どんな風に?、
このあと見本ご覧にいれるように実に大量に日本語に混入し、
私たちが立派な日本語として日常使うようになったのか?。
「我が国への仏教初伝は弥生時代誕生期」
このことは誰もが我が国への仏教伝来を連想するが在来は日本の仏教は
5世紀に初めて朝鮮半島の百済から伝わったとしてきた。
それなら当時は中国仏教の最盛期だから渡来したのは全て漢訳仏典で、
そこに書かれたものは中国語だ。
それがどんなに普及しても原語のパーリ語とは無関係で、
パーリ語が我が国で大量に日常語化するはずはない。
ところが今発表する「日本語化したバーリ語」の発見数は
5000語を遥かに超えている。
これは明かに5世紀の百済仏教伝来とは無関係にパーリ語を話す人々が大量移民し、
日本語を大変貌させるだけの大勢力をもっていた事実を立証している。
「東方仏伝の指揮者ソナカと神功皇后夫妻」
その移民の時期はいっだったか?それもはっきり突き止めることができた。
アソカ王命をうけて東方へ出発したのはウッタラ宣布団とソナカ宣布団とで、
双方とも我が国に多くの遺物を残しているからである。
最初に彼等がやってきた時期は5世紀より遥かに古く、
弥生時代の開始期に一致し、
第二波の渡来は紀元前後だと特定できている。
それは卑弥呼で名高い
『魏書』の倭人の章に巴利国と不弥国が記録されているが、
巴利はパーリ。
不弥もブーミ=新国土を意味するパーリ語だからである。
そればかりではない。
神功皇后夫妻の名は共にソナカに対する当て字で
東方仏伝の指導者ソナカと同名だし、
皇后のサニワを勤めた武内宿祢のそのサニワとは、
やはりパーリ語で大臣を意味する
sajiva への当て字であるといった物証が
『記・紀』その他に充満している。
それらもすでに大量に考証済みで、
『記・紀』は今や信頼度の高い史書に変貌した。
「日本人蔑視を吹き飛ばした成果」
数個の言語が似ているだけなら偶然とか
「他人のソラ似」ということもあるが、
ご参考までにこの後に添付したサンプル語だけでも300語に近く、
それだけでもパーリ語と日本語が似ているのは偶然だ、
などという反論は完全に消滅する。
パーリ語が現代日本語の母であることと、
その単語の質の高さによってそれが古代日本文化を飛躍的に高め、
近代の日本人発展の基礎こなっていたこともまた疑う余地がない。
日本人蔑視は跡形もなく消えてしまう。
「ヒエログリフ解読を遥かに超す発見」
これはナポレオン軍がロゼッタ・ストーンを発見して欧州に持ち帰り、
それがヒエログリフ解読を可能にしたのに似るが、
それによって得られたものは、
壁画や彫刻などに残された文字から、
古代エジプトの文化僅かに読み取れただけでしかない。
それに比べるといま曲がりなりにも超大国である我が国の古代文明を、
厖大な量の言語で、
当時のまま白日のもとに明かにする今回の発見は、
日本人だけでなくアジアにおける古代人類文明の実態を明かにした、
質、量ともに希に見る巨大な発見なのである。
それは単に古代エジプト文字が読めたといった程度のものではない。
世界の一大指導勢力でありながら
従来は正体不明の孤立語を話す小さな島国人とみられてきた
日本人観がどんなに間違っていたか、
また古代日本人が当時の世界でも希な、
どんなに凄い先進文明の持ち主だったかまで徹底的に立証しているからである。
これほど強力かつ重要な言語学上の発見は、人類史上いまだかつてない。
「解けた弘法大師伝法の謎」
それはまた例えば宗教学上の永い謎もとく。
弘法大師空海は中国へ留学して
短期間にインド出身の老師の教えを吸収し、仏典の原典を読み、
永年修行に励んできた中国人の先輩たちを超えて、
法灯を授けられて日本へ持ち帰った。
これは大師の天才によるものとはされてもなお大きな謎を残してきたが、
いまパーリ語と日本語の謎が解けてみると、
言語の上でも大師が中国人先輩たちより遥かに有利だったことがよく理解できて、
大師が受けた栄誉が真実であり、それを奇跡としてきた一切の謎が解けるのである。
次に抜粋したそのサンプルは300語弱であるが、ほとんど説明なしに、
一見してご理解いただけると信じる。
それらが僅かな発音差による変化で現代語にまで移行するのは、
沖縄・南九州の、
いわゆる方言を経過した結果だということも、
よくおわかりいただけると思う。
『参考』
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古代史の画像
2010年5月4日火曜日
古代日本の高文化を記録しているパーリ語(一部)
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:3頁
「金属文化」
鎖
銅鐸
刀
錫
鈴
鍋
鎌
鉄鏃
鉄板
鋤
車
剃刀
斧
金銀
鉛
鋏
金挺
鉋飽
鉄丸
錐
針
釣鉤
アイロン
篩(ふるい)
串
「生活文化」
粉石鹸
化粧品
結納
染料
染色業
黴(カビ)で醸造
酒
酒屋
蜂蜜
砂糖
計器顆
セメント
磨粉
蜜臘
綿布、麻布
毛糸
毛布
毛織物
絹
絹織物
天幕
夜具
塗料
色絵の具
塩漬け魚
料理人
食堂
蜜柑
灯油
ゴミ箱
下水管
浄水器
機械類
寝台
カーテン
長椅子
建築家
運送屋
理髪師
服屋
靴屋
金貸し
融資の取立て
演劇演芸
俳優
女優
漫才師
道化師
吟遊詩人
琵琶
太鼓
器楽声楽
馬具屋
調教師
旅行
草職人
靴
革サンダル
雨衣
彫刻家
「医学」
外科医
糖尿病・白内障・風邪・コレラなど病名
眼科
毒薬学
薬学
薬用動植物学
酵母
妊娠薬
身体の各器官名
樟脳
包帯
鍼
「社会」
公会堂
投票
多数決
談合
相続法
占相屋
許欺師
星座名
前科者
捕り手
裁判官
法廷
探偵
スパイ
破産者
結婚式
火葬
政治学
教授
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言語学者
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銅鐸
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鍋
鎌
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剃刀
斧
金銀
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金挺
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串
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酒
酒屋
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砂糖
計器顆
セメント
磨粉
蜜臘
綿布、麻布
毛糸
毛布
毛織物
絹
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夜具
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食堂
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多数決
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古代史の画像
2010年5月3日月曜日
『日本語・パーリ語比較辞典』抜粋 索引
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録07:2頁
あかん
飽きちゃった
厚かましい
悪口
あっかな
あかんで
揚がる
上がった
熱っち
彼方(あっち)行った
有った
あったんどん
後
仇な
侮り
あの諭(さとし)
貴方
暴れ回る
油薬貼んじゃち
あかへん
いかんわな
危ね逃げ去った
雨いっぱい降った
浴びせた
甘茶
尼・女性
荒る
暴かれて
焦った
遊んで
有っさ
あかんかて
ああ辛(つら)
ああやった
言った
あばた
肋骨(あばら)
うづ
上げ運(まん)
打壊(うっが)った
うっちゃる
うっ死(ち)んだ
うっ立ち
意固地
感か?怪しい
嫌いやった
切っ断ち
田ん料理(づり)
立ち
壷
だっさな
出せち
島
どんなや
帳(とばり)・扉
永久(とわ)
無い
泣っ出っ
何だか
鞣(なめ)し
縄・綯(な)う
無(ね)
名前
逃去った
沸かした
綿
旗
罰くった
ばっちー
防(ふせ)だか
裸足
蓮
撥ぬっじゃち
水(ぶぶ)
打つ
張切って
堀川
掘り返しはりやはった
張り回した
暴露(ば)れた
遥か
びびった
入った
優った
パーや
馬鹿みいや
ぱた
鉢
裸足
裸
人
浸した
普通人
移った
へたった
殖えて
破れて
降(ふ)した
罰
針
乱れ
水
ぶぶ漬(づけ)食いたい
話し
坊主
バッチー
紅
噂
坊
真っ赤(な嘘)
覓(ま)ぐ
猫・じゃれる
町方
混ぜた
我が儘
お前
学ぶ
まやかし
御台
向
無茶・夢中
思(おむ)た
やる
やめて
やってーなー
結った
撚った
良か
世に出る
楽
労咳
楽か
輪っか
わっでい
売人
場立ち
半端
童
バサラ
光ったな・御刀
見切らねえか
びくっとした
見しょーれ
見ちゃーれち
見たか
乱れて
酷う荒れて
見出た
秀づ
酷く振り放す
風来坊
ひどう滅びた
無(な)いなった
苛立ち
織いなす
皆やって
見張いもさ見まっさな
皮膚膿む
引掛った
引張れち
否
見やった
見やはんな
昔やった
開き
ビリ
ヒリヒリ
ビリッやち
ビビった
不様(ぶざま)
ふさいだ
微塵
ビシッさす
別
見すうか
水捌き
見放し
見晴らし
道
ぶつ
降った
目出度い
恨む
ビビンチョ
飯屋
家住居
多
大きな
白虎
宮
わやさな
見様書(みようき)ゃーた
病気
病出て
産婆
淋し
逆さ
参加しちゃって
三月堂
去った
騒音
差し物
定(さだ)
寂し
散々走い
さっぱりやんか
さっぱし
さっぱり
様になった 態(ざま)なか
治まった
さもあらんば
済す
寒うなる
さもバッチー
さも速し
冷まし
覚めました
雨(さめ)
皿
裁く
刺った
さっさ
爽やか
幸
小夜
新品(さら)だ
喋る
晒す
シャリ
処罰
喋り太郎
さっさと
しっかり
学ぶ
叱った
しがらみ
しれっす
冷ゆら
凍(しば)れる
痺れる
縛る
滑る
冷えた
シマ
すっかり
救ひの
すんなり
相撲技
空(そら)
匙
煤黒毛さ
直ぐ
吸ひ
競り手
世話係
側女(そばめ)
側女(おんな)
側近
は!
果たし合い
張っ倒す
速(はや)
払う
はらはら
はしたない
はい
離れる
張り
笑わせて
ひたすら
鄙(ひな)
片(ひな)
ひらひら
下手
ひた
下
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あかんで
揚がる
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彼方(あっち)行った
有った
あったんどん
後
仇な
侮り
あの諭(さとし)
貴方
暴れ回る
油薬貼んじゃち
あかへん
いかんわな
危ね逃げ去った
雨いっぱい降った
浴びせた
甘茶
尼・女性
荒る
暴かれて
焦った
遊んで
有っさ
あかんかて
ああ辛(つら)
ああやった
言った
あばた
肋骨(あばら)
うづ
上げ運(まん)
打壊(うっが)った
うっちゃる
うっ死(ち)んだ
うっ立ち
意固地
感か?怪しい
嫌いやった
切っ断ち
田ん料理(づり)
立ち
壷
だっさな
出せち
島
どんなや
帳(とばり)・扉
永久(とわ)
無い
泣っ出っ
何だか
鞣(なめ)し
縄・綯(な)う
無(ね)
名前
逃去った
沸かした
綿
旗
罰くった
ばっちー
防(ふせ)だか
裸足
蓮
撥ぬっじゃち
水(ぶぶ)
打つ
張切って
堀川
掘り返しはりやはった
張り回した
暴露(ば)れた
遥か
びびった
入った
優った
パーや
馬鹿みいや
ぱた
鉢
裸足
裸
人
浸した
普通人
移った
へたった
殖えて
破れて
降(ふ)した
罰
針
乱れ
水
ぶぶ漬(づけ)食いたい
話し
坊主
バッチー
紅
噂
坊
真っ赤(な嘘)
覓(ま)ぐ
猫・じゃれる
町方
混ぜた
我が儘
お前
学ぶ
まやかし
御台
向
無茶・夢中
思(おむ)た
やる
やめて
やってーなー
結った
撚った
良か
世に出る
楽
労咳
楽か
輪っか
わっでい
売人
場立ち
半端
童
バサラ
光ったな・御刀
見切らねえか
びくっとした
見しょーれ
見ちゃーれち
見たか
乱れて
酷う荒れて
見出た
秀づ
酷く振り放す
風来坊
ひどう滅びた
無(な)いなった
苛立ち
織いなす
皆やって
見張いもさ見まっさな
皮膚膿む
引掛った
引張れち
否
見やった
見やはんな
昔やった
開き
ビリ
ヒリヒリ
ビリッやち
ビビった
不様(ぶざま)
ふさいだ
微塵
ビシッさす
別
見すうか
水捌き
見放し
見晴らし
道
ぶつ
降った
目出度い
恨む
ビビンチョ
飯屋
家住居
多
大きな
白虎
宮
わやさな
見様書(みようき)ゃーた
病気
病出て
産婆
淋し
逆さ
参加しちゃって
三月堂
去った
騒音
差し物
定(さだ)
寂し
散々走い
さっぱりやんか
さっぱし
さっぱり
様になった 態(ざま)なか
治まった
さもあらんば
済す
寒うなる
さもバッチー
さも速し
冷まし
覚めました
雨(さめ)
皿
裁く
刺った
さっさ
爽やか
幸
小夜
新品(さら)だ
喋る
晒す
シャリ
処罰
喋り太郎
さっさと
しっかり
学ぶ
叱った
しがらみ
しれっす
冷ゆら
凍(しば)れる
痺れる
縛る
滑る
冷えた
シマ
すっかり
救ひの
すんなり
相撲技
空(そら)
匙
煤黒毛さ
直ぐ
吸ひ
競り手
世話係
側女(そばめ)
側女(おんな)
側近
は!
果たし合い
張っ倒す
速(はや)
払う
はらはら
はしたない
はい
離れる
張り
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ひたすら
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2010年5月2日日曜日
現存する隅田(スダ)八幡の後裔と淡路島言語文化財
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:32頁
この隅田八幡と訓み方は違うが、
同じ文字の隅田真也正会員が、
その淡路島におられる。
隅田八幡の後裔であり、
倭国東遷後に、
東京に隅田という広域と大河・隅田は和の名を残した大族であるが、
淡路島には同音の住田姓はあるが、隅田家は他にない。
『記・紀』や淡路島の過去にもご造詣が深いので、
これまでしばしば、ご教示を戴いている。
その中から本講に深くプラスする淡路島の言語文化財をご紹介して、
本号の結びを飾りたい。
「インジャラ・ホイ」
これはジャンケンの囃子(はやし)言葉で
「ジャンケン・ホイ、インジャラ・ホイ」と使う。
立神岩の帝柱はパーリ語では
インギーラ、沖縄語の中にはこれがインジャラになる方言がある。
帝柱は勝者・支配者の象徴。
勝敗を争うジャンケンはインギーラを賭けた闘い。
無関係ではない。
ジャンケンの歴史を徹底的に調査する必要があると言っておられる。
「兎はオサギ」
田中萬兵衝著(昭和6年)
『淡路方言研究』にもある。
ウとオの交替は南九州、
五王のコースは
鹿児島県の大崎→宇佐→愛媛大崎→淡路と大坂府の 尾崎だったとわかる。
「ワァイェラとチャウナア」
これは負けた方が勝者に言い返す捨て台詞(ぜりふ)
「お前らはやっばり、我々とだいぶ違うな」。
ワァイェラは族称で、
我(ワレ)の語源の倭(ウワイ)または倭家(ワイエ)の古型。
以下次号
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この隅田八幡と訓み方は違うが、
同じ文字の隅田真也正会員が、
その淡路島におられる。
隅田八幡の後裔であり、
倭国東遷後に、
東京に隅田という広域と大河・隅田は和の名を残した大族であるが、
淡路島には同音の住田姓はあるが、隅田家は他にない。
『記・紀』や淡路島の過去にもご造詣が深いので、
これまでしばしば、ご教示を戴いている。
その中から本講に深くプラスする淡路島の言語文化財をご紹介して、
本号の結びを飾りたい。
「インジャラ・ホイ」
これはジャンケンの囃子(はやし)言葉で
「ジャンケン・ホイ、インジャラ・ホイ」と使う。
立神岩の帝柱はパーリ語では
インギーラ、沖縄語の中にはこれがインジャラになる方言がある。
帝柱は勝者・支配者の象徴。
勝敗を争うジャンケンはインギーラを賭けた闘い。
無関係ではない。
ジャンケンの歴史を徹底的に調査する必要があると言っておられる。
「兎はオサギ」
田中萬兵衝著(昭和6年)
『淡路方言研究』にもある。
ウとオの交替は南九州、
五王のコースは
鹿児島県の大崎→宇佐→愛媛大崎→淡路と大坂府の 尾崎だったとわかる。
「ワァイェラとチャウナア」
これは負けた方が勝者に言い返す捨て台詞(ぜりふ)
「お前らはやっばり、我々とだいぶ違うな」。
ワァイェラは族称で、
我(ワレ)の語源の倭(ウワイ)または倭家(ワイエ)の古型。
以下次号
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
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2010年5月1日土曜日
ギリシャ系海人の楽園・淡路と紀州
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:31頁
当時の淡路島は、
そうした先進文化の集中地域だった。
それは日本列島の中央を占めて、
しかも四方を海に囲まれた島で、
冬は地中海気候に似て暖かく、
夏は海に囲まれて涼しい。
地中海地方出身の人々にとっては、
故郷を思わせる素晴らしい島だった。
それだけでなく、
これまで見た例の日本語化したギリシャの神々は、
全て海神の一族ばかりだから命名者たちは
海人族だったことがわかる。
四方を囲む海は彼らにとって快適な交通路であり、
外部の敵から身を守ってくれ、
海外からの富を与えてくれる神そのものであった。
彼らは日本列島の中央に列島中で最適の島を見つけ、
そこで栄えて、
さらに実力を蓄えていったのである。
その珍の名乗りに合う初期の進出先・紀伊を見ると、
田辺市には芳養(ハヤ)という地域がある。
海を見下ろす浜辺にあるが港は別にある。
これは隼人の町で、
巴利からきた海人族の有力者の居住跡と考えていい。
田辺市は南方熊楠氏の住んだ所としても知られているが、
同氏の写真を見ると。
南九州に多い日本人離れしたギリシャ型の容貌をしておられる。
その博学もまたアリストテレスを思わせる頭脳の働きを見る。
海人族は海上を自在に移動して国境には制限されない。
珍の進出以前に列島の海岸沿いに広く土着していた。
神武東征が南紀に方向転換したというのもそのためだ。
そして珍と済は
和歌山に済の遺跡・隅田(スダ)八幡を残した。
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そうした先進文化の集中地域だった。
それは日本列島の中央を占めて、
しかも四方を海に囲まれた島で、
冬は地中海気候に似て暖かく、
夏は海に囲まれて涼しい。
地中海地方出身の人々にとっては、
故郷を思わせる素晴らしい島だった。
それだけでなく、
これまで見た例の日本語化したギリシャの神々は、
全て海神の一族ばかりだから命名者たちは
海人族だったことがわかる。
四方を囲む海は彼らにとって快適な交通路であり、
外部の敵から身を守ってくれ、
海外からの富を与えてくれる神そのものであった。
彼らは日本列島の中央に列島中で最適の島を見つけ、
そこで栄えて、
さらに実力を蓄えていったのである。
その珍の名乗りに合う初期の進出先・紀伊を見ると、
田辺市には芳養(ハヤ)という地域がある。
海を見下ろす浜辺にあるが港は別にある。
これは隼人の町で、
巴利からきた海人族の有力者の居住跡と考えていい。
田辺市は南方熊楠氏の住んだ所としても知られているが、
同氏の写真を見ると。
南九州に多い日本人離れしたギリシャ型の容貌をしておられる。
その博学もまたアリストテレスを思わせる頭脳の働きを見る。
海人族は海上を自在に移動して国境には制限されない。
珍の進出以前に列島の海岸沿いに広く土着していた。
神武東征が南紀に方向転換したというのもそのためだ。
そして珍と済は
和歌山に済の遺跡・隅田(スダ)八幡を残した。
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