『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:24頁
五王倭国の大きさは武の上表文に書いてある通り、
宇佐八幡宮あたりの視点で、
西は九州60か国、
そこから海の北にある朝鮮半島の99か国、
東に海を越えた四国の55か国で、
一大連邦を形成してはいるが、
山陰・山陽は敵の手にあり、
武はそれを
「句驪(クレ)が北を塞いでいて通さないので、
宋へ使いを送るのにも困難している」
と表現しているようにみえる。
四国からみれば、
勢力圏に入っていない山陽・山陰は、暗くじめじめした異郷で、
しかもそこには句驪の名に合う呉がある。
句驪はいうまでもなく高句麗系の勢力である。
しかし呉が山陽路を通さなくても、
朝鮮半島に領地をもつ武には、
余り邪魔にはならないはずなのに
「句驪が宋への道を邪魔している」というのは、
明かに半島の高句麗の勢力が強くて北鮮を押さえているので、
半島とは地続きの宋へ行くのに海路をとり、
大回りをさせられて大変な苦労をしているという訴えなのである。
こう理解できると五王の勢力範囲が半島に及んでいたことがはっきりわかり、
名乗りの中にある百済・新羅が半島に生まれていたことも明確になる。
この2国の名はすでにご存じの通り南九州に古く誕生した国名で、
それが奴国と同じく南から北へ移動したのである。
しかし同じ名の本国は列島の中にあったのだから、
半島の方は植民地名だったことがよくわかる。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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