『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:12頁
もとは上下2つの立神岩があったが、下立神岩は崩落して今はない。
上立神岩だけが沼島中央部の東海岸の海中に、
今も古代の姿をとどめて、大阪湾を背に立っている。
その真東の対岸は和歌山県日南市「日方(ひがた)」である。
この地名の対照からみて上立神岩は、
伊勢の二見(ふたみ)が浦の夫婦(めおと)岩と同じ性格の、
太陽を崇拝するシンボルだったことがわかる。
すると上下ー対(つい)の立神岩も本来は夫婦(めおと)岩だったのであり、
それが伊弉諾(イザナキ)・伊弉冉(イザナミ)の2神を表現する象徴であり、
だからこそ夫婦の道を説き、
女性上位では国土獲得は難しく国家の経営と永続は
期待できないという統治哲学などを教えつつ、
国土や3貴子を生む物語りの母胎になったことが、容易に推理できる。
そればかりでなく、
これまで不明だった、二見(ふたみ)が浦の夫婦岩の真意も、
皇大神宮の本来の信仰の性格もわかり、
淡路島から伊勢までの天皇家の血統に至るまで、
その真相と繋がりがみえてくる。
また仁徳天皇陵から伊勢に至る遺跡の直列とも
淡路島が深く関わっていることも見えてくる。
「写真」上神立岩
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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