2010年4月22日木曜日

邪馬壹国はこうして生まれた

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:22頁

さらに見落としてはならないのは、

地理的にもインドより近い東南アジアからの移民が、

大量に入って日本人を形成している事実である。

それは日本語のなかに彼らの言語の中核になっている

マレー語単語の量が非常に多いことと、

彼らには100%近く見られる蒙古斑をもつ日本人が、

蒙古人の%より多いという事実がある。

彼らはそれらとともに宗教も持ち込んでいた。

それは原始シンドゥ教の一派で、

シバ神を中核として崇拝するシバ教徒だった。

シバはヒマラヤに住む山の神とされ、

インド中心に広く東西に広がっていた山岳信仰の本尊だった。

日本語で山をヤマと発音するのは、

このシバの別名のヤマが語源なのである。

位宮は卑弥呼政権を倒す戦略として、

それらのヤマ神教徒と妥協して彼らを味方にした。

だから『三国史記』高句麗本紀では

彼に「山上王」という肩書きをつける。

これはヤマガミという日本語の当て字で、

山神(ヤマがみ)を意味しているし、

邪馬(ジャマ)壹国の邪馬でもある。

卑弥呼当時はジャマと発音し。

ヤマと読まれるようになったのは

7世紀以後に唐の発音が我が国に入って来てからだが、

そのジャマはやはりシバ神の別名の一つで、

ジャバなどと同じくその国民の信仰が国名になっていたのである。

卑弥呼と対立する拘奴国王として屋久島南部にいた位宮が、

北半分の国・邪馬を味方にして、

壹與を女王に立てて邪馬壹国を作ったのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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