2010年4月10日土曜日

興の所領の変遷と武による読み替え地名「高市(タケシ)」

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:10頁

だから従来『出雲神話』と呼ばれてきたものは、

これに卑弥呼政権崩壊と大化の倭国政権消滅時のものに、

ギリシャ神話までが混じり合っているが、

その最も中核になっているのは、

やはりこの倭王・済の時の国譲りだということになる。

また一見、自然な混乱にみえる

『記・紀』の『国譲り神話』も、

5世紀と7世紀という時代の近さからみて、

真相を隠すために、

わざと混ぜ合わせて作った

『政略用の作品』だという結論は動かない。

こう見えてくると次の興の名乗りはさらに多くを物語る。

その名は単に河内だけでなく四国の高知も指している。

また大阪市の高津は沖縄発音でタカチとも読める。

これは高族居住地も意味しているから、

3千年前に沖縄に移住してきた

カリエン人の子孫たちの居住地だったことがわかる。

興は中央政権が四国~淡路島にあった当時、

皇子の所領として高知を与えられていたのでコウを名乗り、

済の死後、

領土に加えた土地に河内(コウチ)・高市(コウチ)と命名したが、

発音はいずれもコウチだった。

その高市を武が相続した後、

興当時のままではまぎらわしいと、

文字は高市のままで、発音だけをタケシに変えた。

このタカをタケと発音するのは南九州発音だから、

五代を経過しても、

彼等はやはり南九州語を話していたことがわかるのである。

しかし5代にわたって拡大した国土のどこにも、

ヤマトという国名は全く見(み)当たらない。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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