『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:10頁
だから従来『出雲神話』と呼ばれてきたものは、
これに卑弥呼政権崩壊と大化の倭国政権消滅時のものに、
ギリシャ神話までが混じり合っているが、
その最も中核になっているのは、
やはりこの倭王・済の時の国譲りだということになる。
また一見、自然な混乱にみえる
『記・紀』の『国譲り神話』も、
5世紀と7世紀という時代の近さからみて、
真相を隠すために、
わざと混ぜ合わせて作った
『政略用の作品』だという結論は動かない。
こう見えてくると次の興の名乗りはさらに多くを物語る。
その名は単に河内だけでなく四国の高知も指している。
また大阪市の高津は沖縄発音でタカチとも読める。
これは高族居住地も意味しているから、
3千年前に沖縄に移住してきた
カリエン人の子孫たちの居住地だったことがわかる。
興は中央政権が四国~淡路島にあった当時、
皇子の所領として高知を与えられていたのでコウを名乗り、
済の死後、
領土に加えた土地に河内(コウチ)・高市(コウチ)と命名したが、
発音はいずれもコウチだった。
その高市を武が相続した後、
興当時のままではまぎらわしいと、
文字は高市のままで、発音だけをタケシに変えた。
このタカをタケと発音するのは南九州発音だから、
五代を経過しても、
彼等はやはり南九州語を話していたことがわかるのである。
しかし5代にわたって拡大した国土のどこにも、
ヤマトという国名は全く見(み)当たらない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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