2010年4月27日火曜日

八幡人(やまと)が近畿へ天降った『国生み』の実像

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:27頁

隼人町に霧島から流れくだる川は

「天降川」と書いて「アムリガワ」と発音される。

天降りを古語でアモリと読むが、

その大隅訛りである。

このアムリ、アモリと共通の名をもった

旧満洲・中国東北区のアムール河も、

当然、高句麗の人たちがつけた同じ名である。

このアモリが紀州にもある。

足守神社で、今はアシモリと発音しているが、

珍と済の天降りを知ると、自然にアモリと読めてくる。

これから類推すると、

大阪倭国が天智天皇の日本に敗れて、

東へ北へと大移動した本州最北端の青森もまた、

やはりアモリと読めてくる。

この淡路島からの天降りぬぎ矛(ほこ)を揮って

潮を掻きまぜて国=大和朝廷、

すなわち8世紀人の考える国家を造り上げた神業(かみわざ)なのであり、

それを強調したものが、

神武東征以前の国生み神話とされたものの正体だったのだ。

その沼島は渦潮で名高い鳴門海峡の直ぐそばにある。

神が矛で海を掻き回すという発想は、

渦潮の渦巻くここでこそ、始めて生まれる環境をもつ。

これでヤマトのつく地名が八幡浜でとぎれ、

次は大阪府の誉田八幡に飛び、

あとは奈良の大和しかないために、

一体どうなったのか?という疑問への答えが出た。

誉田八幡が重要な役割を果たしていることで、

宇佐からの八幡人(ヤマト)たちが四国を後にして、

淡路島を拠点に本格的統一政権を近畿に樹立したのが仁徳系天皇家、

いわゆる倭の五王だったのである。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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