2010年4月12日月曜日

本学が初めて解いた「古墳人の謎」

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:12頁

そしてそれらはさらに、

その政権が、同じ南九州出身であっても、

卑弥呼政権と壹與政権のどちらの後継者だったかまでも記録している。

それは興が、

天照大神や豊受大神の信仰を受け継いだ天皇だったことを立証しているし、

この二人の大神が卑弥呼と壹與であることも、

今では疑いのない事実である。

ではあるが卑弥呼は仏教女王だったのに、

皇大神宮の信仰は神道である。

このことは興が造営し始め、

その直線上に武である雄略天皇の陵が造られ、

それが皇大神宮に結ばれたのは、

倭の五王が単に古墳人だった事実のみでなく、

彼らが壹與政権の後継者だったことを証言しているのである。

するとこれはた五王に先行して大阪府に景初三年鏡を残し、

出雲に去った政権は旧卑弥呼政権の大隈の人々であり、

興の大古墳に先行する古墳群の建造者たちだったことが疑いなくなる。

こうして発掘考古学が解決の法をもたない

「古墳の謎」は、

私たちの「言語復原史学」によって始めて雲散霧消し跡形もなくなる。

我が国の考古学の遅れは、

本学を知らない無知が原因だというほかない。

『三国史記』は蓋盧王が古墳の造り方を知らず、

高句麗のスパイ道琳に騙され、

教えられて始めて大古墳群を造ったと書く。

これは高句麗も支配した孝霊天皇の子・卑弥呼は、大隈に葬むられたが、

壹與政権側の応神天皇以後は、

八幡社群や大三島神社などが示す神道であることに符合する。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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