2010年4月17日土曜日

卑弥呼系政権の東遷、それを追った仁徳天皇

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:17頁

だが『大隈正八幡縁起』は、

これも神功皇后であるオオヒルメが

北へ遠征して北部九州に祀られたが、

八幡は大隅に残って南九州を治め、

北へは行かなかったと記録している。

ところが北の大分県に宇佐八幡が実在する。

『記・紀』はこれを応神天皇の「名替え」で説明しているが、

最初の八幡とは別人の幼児が、

もう一人、八幡を名乗ったことは動かない。

宇佐八幡のウサは大山祇(オオヤマツミ)をウサンギと読み、

阿波・讃岐を大讃岐と書いたものをウサンギと読んだものに一致し、

『三国史記』の同じ時代の新羅・百済の王名が直岐(トッキ)王などと、

やはりウサギを意味する名になっている。

これらは全て一人の仁徳天皇に集中するから、

宇佐八幡は仁徳天皇を祭る社である。

これを見ると景行天皇の倭(ウワイ)政権が取った九州北東部は

仁徳天皇=倭王・讃に奪われ、

倭政府は愛媛に渡って卑弥呼系政権を愛娘の名で強調し、

宇和の名を残したが、

これまた奪われて壹與を意味する伊豫と呼ばれるようになり、

東端の阿波・讃岐まで仁徳天皇領になってしまった。

もう倭は完全に自分のものになったと自負した仁徳は、

宋への名乗りに「倭王(ウワイ)」を使用したのである。

このとき彼は高知を手に入れた。

有名な彼の皇居・高津の宮に該当するのは、

ここ以外にはない。

大阪の高津の宮は、のちの興の皇居なのである。

この讃が掌握した勢力圏をウサギの名を使って整理してみよう。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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