2010年4月25日日曜日

古墳時代天皇たちの凄い科学知識と文明度

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:25頁

ではその本国はどこにあったか?。

それが隼人から宇佐に移り、

伊予に移ったことは充分にわかったが、

伊予から直ちに近畿に移ったのであろうか?。

興は大古墳という巨大な建造物を造ったが、

それは伊予から指図してできる事業ではない。

確実に近畿こ都を移している。

それを使って考証してみよう。

仁徳陵→応神陵→雄略陵→崇神陵→伊勢皇大神宮の元伊勢。

これを逆に辿って西に延ばすと、

仁徳陵から大阪湾に出て淡路島の北部にぶつかる。

なぜ、中央部ではないのだろうか?。

それには凄い理由があるのである。

仁徳陵から元伊勢までの直線は、

真方位で正確に北緯34度と35度の真ん中、

34.5度線上に正しく引かれている。

そして淡路島北端部は東経135度の子午線上にある。

その岬の北の対岸・明石市が、

その子午線上にあることは有名だが、

淡路島北端部は仁徳陵から元伊勢に至る

北緯34.5度線とそれとが交錯する

ただ一か所の地点だったのである。

しかも古墳間の距離は、

現行のメートル法に合う尺度で、

キッカリ「11の倍数」kmに測定して配置されている。

世界最大の巨大古墳は大きさだけでなく

今の考古学者の水準を超えた

凄い天文学と方位学と測量学の総合科学によって配置されていた。

我が古墳時代の天皇たちは、

当時の中国人やヨーロッパ人たちより、

はるかに高い文化水準にあったことが見事に立証されているのだ。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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