2010年4月21日水曜日

ヤマトの語源と定着の経過

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:21頁

卑弥呼政権の後身「愛媛の国」時代の首都が、

いまの宇和あたりにあったとすれば、

それにつづく

壹與系政権の「伊豫の国」誕生当時の首都はどこにあったのだろう?。

これは垂仁天皇がモデルである

『海幸・山幸』物語から見ていけばよくわかる。

海幸は巴利の都を南九州語で発音した

巴利都(ハイト)(=いまの隼(ハイ)人)のハイに、

中国語の海(ハイ)の字を当て字したもの。

山幸は、その海幸と争って勝った相手側であり、

その卑弥呼政権を倒して勝ち、

巴利国民=隼人に君臨したのは位宮と壹與たちである。

その跡を継いでそこに君臨したのが応神天皇の八幡。

この八幡はヤマンまたはヤマと読めるから、

海人に対して山人(ヤマト)と呼ばれたが、

それはカリエン人もギリシャ人も、

ヤマトやヤマトロンというシュメルの地名を知っていたからである。

しかしそれは位宮たちが、

そこからやってきた人々だというのではない、

八幡とは中国語でギリシャ人を指すヤバーナに対する

我が国での当て字であって、

その居住地の中心は種子島の野間(のま)にあった。

そこは奴国(ノマ)と書かれているから、

ヤマとノマの二つの発音が当時すでに使われていたことがわかる。

位宮と壹與の事跡にはイオニヤを意味するパーリ語

「ヨナ=与那(ヨナ)・徐那伐(ヨナバル)」のつく地名が多い。

また卑弥呼と壹與とは

天照大神や赫夜(かぐや)姫として

「金髪」だったことがが強調特記され、

ギリシャ系の出身を証明している。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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