2010年4月11日日曜日

用語の地域差が立証する倭の五王の出自(しゅつじ)

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:11頁

倭王・武=雄略天皇が、

仮に在来説や邪馬台国大和説などの言う奈良県人だったとしたら、

高市王の彼は、タケシでなくタカシと名乗ったはずだから、

その当て字には武ではなく、

貴や隆・敬などを選ぶ以外なかったのである。

このように五王の名乗りのたった一字までもが、

彼等の出身地が南九州だったことを、

その「高市=武」によって充分に、

かつ完全に記録し証明し続けているのだということも、

また本学の真価の高さを教えてくれる。

それなのに、

こんなに重要な名乗りを何の研究も考慮もせずに、

ただ単純に「サン・チン・セイ・コウ・ブ」としか読めずにいて、

その発音を使って平気で議論し、

論文を発表している「学者」たちが、

我が国建国史の真実を発見したり復元したりできるわけがない。

この武の先代、

倭王・興が『三国史記』百済本紀の蓋盧(コウロ)(コウ国(ラ))王で、

世界最大の墓・巨大古墳群の建造者だということは、

すでに拙著や本講で許しくお話しした通りだが、

それらには仁徳天皇陵という堺市の大仙陵や

羽曳(ハビキ)野市の応神天皇・誉由陵があり、

この2大前方後円墳を結ぶ直線を東に延長すると、

雄略天皇陵を経て崇神天皇陵に達し、

さらに東へ延長すると

伊勢湾岸の、伊勢神宮が最初に建てられた場所・元伊勢に到る。

その神殿はその後、湾の水位が上がって水没したため、

現在地に連座したという記録が残っている。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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