『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:6頁
その神宮は、今、津名郡一宮町にあるが、
この町名も戦後のものである。
黄門は私たちのように伊弉諾の尊と国生みを
史実として捉えたわけではなかったのである。
黄門当時の日本人が、
ただ利潤の追及と幼児的な興味を追うだけの低級な国民から、
もっと日本の歴史を知り、先祖の功業を意識して、
より高い教養によって国の文化を高めるような高級な国民にしたいと、
神戸の湊川に楠正成を祭る湊川神社を建てたのと同じく、
「神話としての国生み」の舞台になっている淡路島に、
伊弉諾の尊を祀る神社が無いことを慨嘆して、
この神宮を創建したのである。
目的は国民の教養を高め、
国民精神を高揚させることにあって、
史実を追及したり復元しようとしたのではない。
だからその位置も淡路島ならどこでもよかったのである。
しかし私たちは今や光圀の域をはるかに超えて、
史実としての伊弉諾尊を復元できるまでに至った。
それによって黄門が考えも及ばなかった高い教養と自信が、
日本人のものになろうとしているのである。
今では伊弊諾尊は子供だましの作り話とさ
れてきた
『神話の主人公』ではなく、
『真の大和朝廷の生みの親』として、
真実の日本誕生の消長に昇りつめた。
人工的な1建造物にすぎない神社とは
比較にならない壮大な真実の歴史が、
今、私たちによって復元されつつあることを、
国民はもちろん、
尊や黄門の霊も心から喜んでいると思う。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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