2010年4月20日火曜日

裴清の相手はなぜ? 倭をイと発音したのか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:20頁

「倭」の字は人偏(にんべん)こ委任の委(い)の字を書くから、

漢音はイだと思ったし、

イネという言葉のもとは、

「委」の字を、女性が禾(カ)(イネ科植物)を担いでいる形で、

我が国は禾をイ、女をニョとしたから、

イニョ=イニ?イネという名詞が生まれた。

南九州語など日本語の方言で

「担(にな)う」をイナウと発音するのも、

この文字が語源で、

「ニナウ」の方が「荷をイナウ」を縮めたものなのである。

女性が農業労働を担当する、

この姿は、

当時の家事を一切女性にまかせる習慣を表現しているので、

「まかせる」こと、

委任の「委」を意味する単語として次第に拡大して使われるようになり、

今では語源の方が忘れられてしまったのだ。

このことがわかると、

裴清(ハイセイ)に説明した人物が、

倭をイと読んでも不思議ではない。

彼は倭の字をウワイと読むのは訓読で、

中国では委と同じくイと発音するのだと思い込んでいたのである。

裴清が書く、

その俀国までのコースと日程もまた、

やはり四国西部を指しており、

とても奈良までの行程ではない。

そこには大洲がある。

洲はシマとも読むから「大之国」、

ダイ国の跡そのものである。

その時代は倭王・武が高市に侵入した宋代の後、隋の時代なのだから、

奈良に都があってもよさそうなものなのに、

やはり都は愛媛県にあったことになる。

奈良はまだ辺境で、

単なる新領土、最涯(さいはて)の国境地帯にすぎなかったのが真相なのだ。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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