『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:20頁
「倭」の字は人偏(にんべん)こ委任の委(い)の字を書くから、
漢音はイだと思ったし、
イネという言葉のもとは、
「委」の字を、女性が禾(カ)(イネ科植物)を担いでいる形で、
我が国は禾をイ、女をニョとしたから、
イニョ=イニ?イネという名詞が生まれた。
南九州語など日本語の方言で
「担(にな)う」をイナウと発音するのも、
この文字が語源で、
「ニナウ」の方が「荷をイナウ」を縮めたものなのである。
女性が農業労働を担当する、
この姿は、
当時の家事を一切女性にまかせる習慣を表現しているので、
「まかせる」こと、
委任の「委」を意味する単語として次第に拡大して使われるようになり、
今では語源の方が忘れられてしまったのだ。
このことがわかると、
裴清(ハイセイ)に説明した人物が、
倭をイと読んでも不思議ではない。
彼は倭の字をウワイと読むのは訓読で、
中国では委と同じくイと発音するのだと思い込んでいたのである。
裴清が書く、
その俀国までのコースと日程もまた、
やはり四国西部を指しており、
とても奈良までの行程ではない。
そこには大洲がある。
洲はシマとも読むから「大之国」、
ダイ国の跡そのものである。
その時代は倭王・武が高市に侵入した宋代の後、隋の時代なのだから、
奈良に都があってもよさそうなものなのに、
やはり都は愛媛県にあったことになる。
奈良はまだ辺境で、
単なる新領土、最涯(さいはて)の国境地帯にすぎなかったのが真相なのだ。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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