『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:4頁
この宇和島命名問題は30年ほど前にも指摘されて再検討したもので、
その結論を手短(てみじ)かに要約すると、宇和島は確かにイタジマだったが、
江戸時代以前の複数の文献に愛媛西岸に「ウワの海」の名と、
ウワのつく地名が記録されている。
またイタの名そのものが一大であり、伊都であって、後にお話しする八幡その他、
倭国と切り離せない地名が複合して愛媛地域に密集している。
命名者・伊達氏そのものも仏教の守護神
「伊達天(イダテン)」を名乗る仏教倭国の後裔で、
前領地名ウワも、間違いなく「大倭(ウワ)」を意味していたことなども、
江戸時代には文献などの表面には出ないが、
本学の常識から推して容易に判定のつく問題だった。
むしろここで注意が必要なのは、
現在の都市・宇和島の位置に
古代の首都・大倭之国があったとするのが正しいかという点である。
なぜなら古代の首都や大都市は短命で、永続していないからなのだ。
シュメル、エジプト、インド周辺、ギリシャ、東南アジア、中国、中南米の
どの古代文明をとってみても、
その大遺跡は砂漠やジャングルや荒れ地や高山の頂上などに、
無人の廃墟としてしか残っていない。
私の小さな体験を振り返ってみても、
小学校に入学した東京市郊外は農村そのものだったし、
その後、生活した大阪市の、大阪城の東の地域も、
東は生駒山の麓まで一望できる、
田畑と荒れ地以外なにもない農村地帯だった。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
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ウワイト
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