2010年4月4日日曜日

ウワジマ命名の背景と古代都市の存続度

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:4頁

この宇和島命名問題は30年ほど前にも指摘されて再検討したもので、

その結論を手短(てみじ)かに要約すると、宇和島は確かにイタジマだったが、

江戸時代以前の複数の文献に愛媛西岸に「ウワの海」の名と、

ウワのつく地名が記録されている。

またイタの名そのものが一大であり、伊都であって、後にお話しする八幡その他、

倭国と切り離せない地名が複合して愛媛地域に密集している。

命名者・伊達氏そのものも仏教の守護神

「伊達天(イダテン)」を名乗る仏教倭国の後裔で、

前領地名ウワも、間違いなく「大倭(ウワ)」を意味していたことなども、

江戸時代には文献などの表面には出ないが、

本学の常識から推して容易に判定のつく問題だった。

むしろここで注意が必要なのは、

現在の都市・宇和島の位置に

古代の首都・大倭之国があったとするのが正しいかという点である。

なぜなら古代の首都や大都市は短命で、永続していないからなのだ。

シュメル、エジプト、インド周辺、ギリシャ、東南アジア、中国、中南米の

どの古代文明をとってみても、

その大遺跡は砂漠やジャングルや荒れ地や高山の頂上などに、

無人の廃墟としてしか残っていない。

私の小さな体験を振り返ってみても、

小学校に入学した東京市郊外は農村そのものだったし、

その後、生活した大阪市の、大阪城の東の地域も、

東は生駒山の麓まで一望できる、

田畑と荒れ地以外なにもない農村地帯だった。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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