2010年4月23日金曜日

精密に再確認できた讃から?俀(ダイ)国までの都

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:23頁

もちろん、この2国だけで戦ったわけではない。

位宮はその前に高句麗からシンドゥの神・ビチュヌウを名乗る海人族の王・

ミチノウシ(道大人)に連れられて、種子島(竜宮)へ逃げ帰った時、

結婚した狭穂姫(豊玉姫・乙姫の義姉)の婿になって、

そのシンドゥ教徒を主力にしたことは、

邪馬壹国建国と同時に種子島の奴国(野間)が旧伊都国を解体改名して

新・奴国にしたことで充分にわかる。

その新・奴国が後に野間人(ヤマト)と呼ばれるようになり山門郡になった。

同じ山門は薩摩にもある。

読み替えは広域のものだったのだ。

その野間出身の八幡(はちまん)もまたヤマンと読めるから

「ヤマの=山の(王)」への当て字だ。

その山門が同じ福岡県内なのに筑前に変わると

ヤバタ(八幡)になっているが、

こちらのほうは八幡徒(ヤマト)が語源だとよくわかる。

次が宇佐の八幡で、武のいうとおり東55か国へ向かって海を渡ると

愛妓県・伊予のヤワタハマ(八幡浜)かある。

これは八幡徒の(都の)港を意味するから、

その背後にある大洲(オオズ)が都でなければならない。

大(だい)は俀、洲は国のことだからここが俀国だった。

その真南20kmに「宇和」があり、

その西の岬が大崎でウサキ=宇佐王、

ダイとオオの岬という名になっている。

この大崎と佐田岬とに囲われた大湾が

「宇和海」で、宇和島湾は大崎以南の湾をいう。

塩崎正会員のご指摘のお陰で、

これで書き落とした部分が精密に補足できた。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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