2010年4月18日日曜日

ウサギの足跡(そくせき)と神道と卑弥呼仏教の真相

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:18頁


ウサギは
倭王・讃=仁徳天皇 宇佐八幡=宇佐王=ウサギ→大山祇=ウサンギ→大三島神社=

ウサン之国(シマ)神社→阿波・讃岐=大・讃岐=ウサンギ→淡(オオ)(淡路島)佐野・王=

ウサノギ→大(阪府)佐野・王=ウサノギ→尾崎(オサキ)→大山陵=

ウサ・ン(の)陵(堺市の仁徳天皇陵)。

このように、

讃は大分県から四国を経て大阪府に至るまで、

その名乗りに一致する地名を残している。

しかし現実の支配地は阿波・讃岐止まりで、

大分の宇佐八幡はその出発点に

その功績を讃えて建てられた神社であり、

大阪府の大古墳は子孫である興が、

後世になってから建造した仏教式ストゥパだったこともまた明かである。

このことで彼が、

一人で神社と古墳の二つをもっていることがわかる。

それはどんなことを物語っているのであろうか?。

九州の出発点にいた彼等は当然、

壹與政権のシーラ・バッガ派で、

厳重な戒律に縛られた簡素、

清潔を至上命令とする仏教徒だった。

それが八幡大菩薩と呼ばれた真意である。

彼等はその教義に合わせて白衣を者たので、

白着(しらぎ)人=新羅人と呼ばれた。

これが『三国史記』が書く、

壹與を赫居世(赫居世国(カゴシマ))と呼び、

新羅始祖王とする理由である。

これが神道と呼ばれる宗教の実態で、

それはチベットやブータン仏教に今も見る

打太鼓(だだいこ)などを使う。

これらは今、

日本でみる中国様式の仏教とは似ていないが、

卑弥呼仏教の姿を伝えているのである。


『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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