2010年4月5日月曜日

小地名でも古墳壁画を超える貴い価値をも

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:5頁

父がその荒れ地に日本最初の既製服量産(レディメード)工場を建て、

大阪市の要請を受けて川に私費で橋を架けたのが

『緑橋(みどりばし)』だったが、

その「緑橋」は今、なんと!

オフィスや人家が密集する大都心の名に変貌している。

その間には
太平洋戦争による戦禍もあったのに、

私の記憶の中だけでも、

こんなに変転するのである。

史上有名な平城京跡でも、奈良市街になったわけではない。

周知のように農地や荒れ地として横たわっていた。

だから古代の首都を現在の主要地名に結びつけようとするのは誤りである。

今は小字(こあざ)ていどの地名になっていても、

軽視したり無関係視したりするのはいけない。


現状は古代を継承していないはうが多いからである。

だからこそ消滅寸前の小地名でも、

古墳の希少壁画を超える非常に負い価値があるのである。

「古代の首都は現在も少なくとも都市でなければ証拠にならない」と

言った本学への反撃者もいたが、

あなたにはそれが幼稚な暴論だと、

よくおわかり戴けると思う。

淡路島の伊弉諾神宮も以上のような「時代違い」の例に入る。

この神宮も古代からの遺跡ではなく、

やはり江戸時代に、水戸光圀が創建したものである。

地名は単なる無形の発音に過ぎないと思われ勝ちだが、

実際には大地、距離、方位など有形のもの=遺跡で構成されている。

水戸黄門は何を根拠に、

何を考えて、そんな神宮を建てたのだろうか?。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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