『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録06:9頁
なぜか?
…それは倭の五王が取ったこれらの地域が、
彼等以前に、
すでに別系の南九州人によって
占拠されていたという動かぬ証拠になるからである。
なぜなら「イズミ」と発音する地名は、
ポセイドンから生まれた名詞
「百済出水(ホセイズン)」の後半部であり、
鹿児島県西部の出水地方からの移住者がつけた地名だとするしかない。
そしてそこにある4世紀古墳から副葬された景初三年鏡が見つかっている。
倭王・済(スミ)に先行して和泉地方を領有していたのは、
間違いなく出水地方を故郷とする倭人たちだったのである。
こう見えてくると、
この和泉地方の王が政権を譲って落ちて行った先がどこだったかも、
明確に見えてくる。
それは出雲以外にはありえない。
本講で先にお話したように、
イドン→イヅン=出水→イヅミ=和泉→イヅン=出雲と、
その当て字を比較してみると、
出雲が一番、元のイヅンに近い当て字である。
ということは、出雲に移った人たちは、
ポセイドン信仰に最も近い古い信仰の持ち主たち=卑弥呼に近い人たちだが、
倭済はオオスミとも読めるから、
出雲へ去った出水系の人たちとは別系の、
大隅系の王、
すなわち壹與政権の王だったので、
和泉は大隅系のイヅミであることを示す意味で、
宋帝への信書にわざわざ
「倭済」のサインをしたためたのだとみても、
以上の考証による断定結果と少しも食い違わない。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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