『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:10頁
これでおわかりの通り、
この履中天皇の本土上陸が、
後の大和朝廷誕生の第一歩だったのである。
だから大阪湾での国生みが語られ、
淡路島が我が国最初の州と書かれ、
そこで伊弊諾尊・伊弉冉尊が
国々と神々を生んだというのに少しもウソはない。
それだけでなく、
彼等がどこから来たどんな信仰の持主だったかまでわかる。
それは淡路島の別名だとされてきた磤馭盧島の真相が、
従来の説はとんでもない誤解だったとわかったからである。
従来は、
この磤馭盧島を「オノゴロジマ」と読んで、島の名だと信じてきた。
それは海の塩水が乾燥して固まるように、
島が自然に固まってできたという意味だと信じ、
『古事記』の当て字
『己碁呂(オノゴロ)島』が正しいと信じて疑わなかったからだ。
しかし古代人ならそんなお伽話を真に受けるが、
いま伊弊諾尊の実体が履中天皇だとわかると、
潮が自然に凝り固まって島ができたと信じて済ますことはできない。
では磤馭盧とは何のことなのであろうか?。
いま明石大橋で地続きになった対岸は播磨(ハリマ)、巴利国の後身だ。
パーリ語にinda khila インダキラという言葉がある。
これと磤馭盧を比べてみると、磤はイン。
盧は末廬=松浦(マツラ)だからラ。
前後は完全に一致している。
馭(ギョ)はキをチと発音する沖縄語が、
daki をヂュと訛ったものを、
『日本書紀』編者がヂュは
本州語のギョだと解釈して当てた当て字なのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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