『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:25・26・27頁
出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征
350年:かって石虎の配下だった麻秋が符洪(胆咋)を暗殺。
354年:五十跡手(故国原王)が仲哀天皇(伊呂弗)に降伏する
(伊呂弗には、当時全盛だった慕容儁がバックにいた)。
362年:仲哀天皇が筑紫(北九州のどこか)で遭難(戦死)
=その相手は故国原王(この戦争は「肥後国風土記姫杜郷条」で推定できる)。
371年:南九州で近肖古王(五十琴)と王子
(実は多遅麻=近仇首王)が故国原王を戦死さす。
ふつう(?)、息子が親の仇を討つのであるが、
この371年の場合は親が息子の仇を
討ったという形(?)になっている(なお、親の仇《かたき》、
子の仇討ちなどというのは劇画的な表現だが、因果応報の説明にはなっている)。
Ⅰ系図の五十琴(近肖古王)、玉彦姫(神功鼻后)、布都久留(応神天皇)として、
H系図の真浄、武内宿祢、石川宿祢を吟味してみると、次の記録の意味がみえてくる。
1)百済本紀近肖古王条;真浄を「朝廷佐平」とし、国政をゆだねた。
2)仲哀天皇9年(362年)2月:仲哀天皇が戦死して武内宿祢が争議をおこなう。
3)神功皇后46(366)~52年(372年);久邸が往還。
4)応神天皇3年(392年);石川宿祢(他)を遭わす。
2、3、4の絶対年代は小林「4C」に従ったものである。
まず3の「久邸(右のこざとのない文字)」と1の「朝廷」を比較すると、
朝廷は宮廷と同じ意味になるから久=宮とすると、久邸はクティではなくキュウティで、
結局「朝廷佐平」のことではないのか、ということになる。
朝廷佐平とは朝廷を補佐する役割のことで、「朝廷ウチの朝臣アソミ」で、
これが武内宿祢や主要な役目(属性)であることは、
ほとんど定説化しているといえる(p359~岩波日本書紀二など参照)。
ただし、この属性は記紀編纂時代(当時)の位置付け、
百済本紀でいえば百済王朝側からの位置付けであって、
当時の金官加羅国でいえば彼自身が金官加羅国王、
朝廷そのものだったのである。
定説化といえば「武内宿祢は『実在者ではない』というのが定説」
とされているが、これは
① 年代を限定しない、
② 系譜上の位置を明らかにしない、
③ 名乗りとしての意味を解明しない、
そういう人たち(学者、研究者)の言い分である。
玉彦姫の兄の多遅麻も、別の系図では武内宿祢になっている。
なお、Ⅰ系図をみる限りでは神功皇后(玉彦姫)は、
なんと、
「前百済」王妃(皇太子妃)だった、ということになるではないか。
これは驚くべきことである。
系譜の中で、武内宿祢━石川宿祢の父子関係は確定しているから、
4の石川宿祢はF系図の石川宿祢の可能性が高い
(多遅麻の息子に、大別の他に印葉、伊予、小神がいて、
これらの誰かが「石川宿祢」と表現されたという可能性も完璧に
排除してしまうことは出来ない)。
いずれにしても、
ここでの推定のように
網浜茶臼山(武内宿祢)、
湊茶臼山(石川宿祢)の被葬者であるなら、
間違いなく特定個人ということになる。
百済本紀は1の真浄の属性として「性格がねじけていて…国民は彼を嫌った」
という意味の表現をしている。
これはあきらかに、
晋書載記の「石虎の描写」を意識して対照させている、といえる。
その中で、石虎は「尼僧を犯したり、
美女の首を撥ねて皿に載せて眺めて楽しんだり、
肉を刻んで羊の肉と混ぜて煮て食したり…」と、
身の毛のおだつような描写がされているが、
これらの描写はインドのカーリー女神やエンマ大王の属性そのものであって、
この時期の右虎たちが信奉した宗教に他ならない、
ということである、と僕には思える。
ともかく石虎と真浄の性格付けに対照が認められるということは、
両者の近親関係(二人は実の兄弟)の強力な傍証になる。
石勒はイソリクと読めるから、磯(城)と琉球という名乗り、
石虎はイソトラと読めるから
磯(城)投(ト)(馬)国(ラ)という名乗りが復原出来るだけでなく、
前者はシャ(ロ)ク、後者はシャコであるから
(掖)邪(シヤ)狗(ク)、(掖)邪(シャ)拘(コ)になって、
余・邪拘、余・邪拘
つまりギリシャ公(家長・族長)という意味だったのである。
どちらも八坂王(=掖邪狗《拘》)の子孫であることは系図B、Hが示している。
石勒も石虎も中国大陸で皇帝になったが、生粋の列島人だったのである。
そんなことを、後の記紀編纂事業の最高責任者たちが、
当時の中国(唐朝)の官吏たちにたやすく見破られてしまうような安易な(?)
歴史書を記述編纂するわけがないし、今の(21世妃)中国政府でも、
こんな歴史復原を認めない懸念が無しとはしない。
逆に言えば言語復原の操作だけが、歴史の真相を解明するのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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