2010年3月2日火曜日

日本古代王族の婚姻系譜(19)(20)(21)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録04:25・26・27頁

 出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征

 350年:かって石虎の配下だった麻秋が符洪(胆咋)を暗殺。

 354年:五十跡手(故国原王)が仲哀天皇(伊呂弗)に降伏する

      (伊呂弗には、当時全盛だった慕容儁がバックにいた)。

 362年:仲哀天皇が筑紫(北九州のどこか)で遭難(戦死)

      =その相手は故国原王(この戦争は「肥後国風土記姫杜郷条」で推定できる)。

 371年:南九州で近肖古王(五十琴)と王子

      (実は多遅麻=近仇首王)が故国原王を戦死さす。

 ふつう(?)、息子が親の仇を討つのであるが、

 この371年の場合は親が息子の仇を

 討ったという形(?)になっている(なお、親の仇《かたき》、

 子の仇討ちなどというのは劇画的な表現だが、因果応報の説明にはなっている)。

 Ⅰ系図の五十琴(近肖古王)、玉彦姫(神功鼻后)、布都久留(応神天皇)として、

 H系図の真浄、武内宿祢、石川宿祢を吟味してみると、次の記録の意味がみえてくる。

 1)百済本紀近肖古王条;真浄を「朝廷佐平」とし、国政をゆだねた。

 2)仲哀天皇9年(362年)2月:仲哀天皇が戦死して武内宿祢が争議をおこなう。

 3)神功皇后46(366)~52年(372年);久邸が往還。

 4)応神天皇3年(392年);石川宿祢(他)を遭わす。

 2、3、4の絶対年代は小林「4C」に従ったものである。

 まず3の「久邸(右のこざとのない文字)」と1の「朝廷」を比較すると、

 朝廷は宮廷と同じ意味になるから久=宮とすると、久邸はクティではなくキュウティで、

 結局「朝廷佐平」のことではないのか、ということになる。
 
 朝廷佐平とは朝廷を補佐する役割のことで、「朝廷ウチの朝臣アソミ」で、

 これが武内宿祢や主要な役目(属性)であることは、

 ほとんど定説化しているといえる(p359~岩波日本書紀二など参照)。

 ただし、この属性は記紀編纂時代(当時)の位置付け、

 百済本紀でいえば百済王朝側からの位置付けであって、

 当時の金官加羅国でいえば彼自身が金官加羅国王、

 朝廷そのものだったのである。

 定説化といえば「武内宿祢は『実在者ではない』というのが定説」

 とされているが、これは

 ① 年代を限定しない、

 ② 系譜上の位置を明らかにしない、

 ③ 名乗りとしての意味を解明しない、

 そういう人たち(学者、研究者)の言い分である。

 玉彦姫の兄の多遅麻も、別の系図では武内宿祢になっている。

 なお、Ⅰ系図をみる限りでは神功皇后(玉彦姫)は、

 なんと、

 「前百済」王妃(皇太子妃)だった、ということになるではないか。

 これは驚くべきことである。           

 系譜の中で、武内宿祢━石川宿祢の父子関係は確定しているから、

 4の石川宿祢はF系図の石川宿祢の可能性が高い

 (多遅麻の息子に、大別の他に印葉、伊予、小神がいて、

  これらの誰かが「石川宿祢」と表現されたという可能性も完璧に

  排除してしまうことは出来ない)。

 いずれにしても、

 ここでの推定のように

 網浜茶臼山(武内宿祢)、

 湊茶臼山(石川宿祢)の被葬者であるなら、

 間違いなく特定個人ということになる。

 百済本紀は1の真浄の属性として「性格がねじけていて…国民は彼を嫌った」

 という意味の表現をしている。

 これはあきらかに、

 晋書載記の「石虎の描写」を意識して対照させている、といえる。

 その中で、石虎は「尼僧を犯したり、

 美女の首を撥ねて皿に載せて眺めて楽しんだり、

 肉を刻んで羊の肉と混ぜて煮て食したり…」と、

 身の毛のおだつような描写がされているが、

 これらの描写はインドのカーリー女神やエンマ大王の属性そのものであって、

 この時期の右虎たちが信奉した宗教に他ならない、

 ということである、と僕には思える。

 ともかく石虎と真浄の性格付けに対照が認められるということは、

 両者の近親関係(二人は実の兄弟)の強力な傍証になる。

 石勒はイソリクと読めるから、磯(城)と琉球という名乗り、

 石虎はイソトラと読めるから

 磯(城)投(ト)(馬)国(ラ)という名乗りが復原出来るだけでなく、

 前者はシャ(ロ)ク、後者はシャコであるから

 (掖)邪(シヤ)狗(ク)、(掖)邪(シャ)拘(コ)になって、

 余・邪拘、余・邪拘

 つまりギリシャ公(家長・族長)という意味だったのである。

 どちらも八坂王(=掖邪狗《拘》)の子孫であることは系図B、Hが示している。

 石勒も石虎も中国大陸で皇帝になったが、生粋の列島人だったのである。

 そんなことを、後の記紀編纂事業の最高責任者たちが、

 当時の中国(唐朝)の官吏たちにたやすく見破られてしまうような安易な(?)

 歴史書を記述編纂するわけがないし、今の(21世妃)中国政府でも、

 こんな歴史復原を認めない懸念が無しとはしない。

 逆に言えば言語復原の操作だけが、歴史の真相を解明するのである。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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