2010年3月15日月曜日

日本古代王族の婚姻系譜(38)



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:22頁


 出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征


 「イトと五十跡手と天の日槍系譜」


 肥前国風土記逸文に


 「高麗の国の意呂山に天から降ってきた日槍の末裔の五十跡手とは私のことです、


  といったところ、


  天皇はお前五十跡手の本拠地を恪勤(いそし)の国というがよいといったのが、


  訛って恰土の郡というようになった」というような意味のことが書いてある。
 
  恰土郡は今の前原市、旧糸島郡の糸郡である(この糸島郡《現前原市》は


  魏書倭人章の「伊都国」と誤解されていることで有名であるが、


  後の時代の地名を三世紀半ば当時のものと誤認したもので、


  倭人章の伊都国は佐賀市一帯である」が、


 「この恰土国は日槍の同族が建てた国」


 (浮田洋太郎「ヤマト国家成立の秘密」・新泉杜p77)と判定して間違いない。


  日槍の系譜はK系図を少し変えさえすれば、簡単に理解できる。
   
  2      3      4      5     6   7   8


 仇道 ∥_|臣潰沽 ∥_|菅韓多羅∥_|壹與∥_|咄固━美川王━故国原王
 公孫度∥  (清日子)  大筒木 ∥  位宮∥        (天日槍の
 の宗女   (天日槍)    垂根∥ (熊襲タケル)    末裔五十跡手)
       阿爾兮 ∥


 五十跡手が仲哀天皇に降伏したのは354年のことだが、


 362年になると逆に仲哀天皇(=五十琴の長子伊呂弗)を戦死させている


 (故国原王=熊襲、故国原王は熊毛郡=南九州《襲》と南西諸島の王)のである。


 (仲哀9年=362年、


 肥前国風土記逸文基肆郡姫杜郡粂=あらぶる神がいて道行く人を殺した=仲哀天皇戦死)


 (前掲文の同義反復)。


 降伏した時に既に恰土郡にいたのだから、そこは故国原王の領地だったことになる。


『参考』


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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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