『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:9頁
これでなぜ?、淡路島に伊弊諾神宮があるのか?、
またその祭神は実在者なのか架空の神にすぎないのか?、
実在者ならそれは誰か?といった複数の謎に、動かない答が確立した。
ところがそれでもまだ謎が残る。
それは履中天皇が伊弊諾尊だったのなら、なぜ?、
宋に送った手紙に「珍」と署名したのであろうか?。
彼が上表したのは、仁徳天皇が死んで位を継いだ時である。
まだ対岸の茅沼は占領していないはずだ。
だから「珍」は正確には茅沼ではない。
いま淡路島の地名をみると「津名郡」という大きな地域があって、
伊弊諾神宮がある一宮町もその中に入っているが、
中心は「津名町」で島都の洲本市に隣接している。
この「津名」は今の発音では「ツナ」であるが、
沖縄発音だと「チン」、まさに「珍」の漢音とピタリと一致する。
これで履中天皇が宋に上表した当時は、淡路島暗いたこと、
これには今も津名町に「王子」という地名が残るので、
その居住地が今の津名町にまで絞れること、
その後、対岸の大阪府を占領したために、
そこが茅沼という国名をもったこと、これにも津名町と、対岸の大阪府に、
ともに「佐野」という地名が残ること。
この「サノ」の名は神武天皇の幼名にも「狭野(サノの)尊」というのがあり、
これが神武東征を大阪府から奈良への侵入だとした
混乱の謎を解くカギになると考えていい。
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
0 件のコメント:
コメントを投稿