2010年3月30日火曜日

神話は歴史だったという数々の証拠

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:9頁

これでなぜ?、淡路島に伊弊諾神宮があるのか?、

またその祭神は実在者なのか架空の神にすぎないのか?、

実在者ならそれは誰か?といった複数の謎に、動かない答が確立した。

ところがそれでもまだ謎が残る。

それは履中天皇が伊弊諾尊だったのなら、なぜ?、

宋に送った手紙に「珍」と署名したのであろうか?。

彼が上表したのは、仁徳天皇が死んで位を継いだ時である。

まだ対岸の茅沼は占領していないはずだ。

だから「珍」は正確には茅沼ではない。

いま淡路島の地名をみると「津名郡」という大きな地域があって、

伊弊諾神宮がある一宮町もその中に入っているが、

中心は「津名町」で島都の洲本市に隣接している。

この「津名」は今の発音では「ツナ」であるが、

沖縄発音だと「チン」、まさに「珍」の漢音とピタリと一致する。

これで履中天皇が宋に上表した当時は、淡路島暗いたこと、

これには今も津名町に「王子」という地名が残るので、

その居住地が今の津名町にまで絞れること、

その後、対岸の大阪府を占領したために、

そこが茅沼という国名をもったこと、これにも津名町と、対岸の大阪府に、

ともに「佐野」という地名が残ること。

この「サノ」の名は神武天皇の幼名にも「狭野(サノの)尊」というのがあり、

これが神武東征を大阪府から奈良への侵入だとした

混乱の謎を解くカギになると考えていい。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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