『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:5頁
それも大和朝廷軍が、大規模な軍事行動によって支配圏を拡大したのではない。
ちょうど、卑弥呼が魏の勢威を恐れて、
協力を告げる使者・難升米らを派遣したように、
大和朝廷の支配潅が確立するにつれて帰属を申し入れる地域支配者が増加し、
いっか東国全域が支配下に入ったという形になっている。
しかしこれは大和朝定が政権として安定した後のことである。
それ以前の不安定な時期に、
関東以北まで近畿の政権に隷属(れいぞく)していたとは考えられない。
現実の人間世界では広大な地域が、
平穏に他の勢力に征服されるということはありえない。
それは人間を国境を超越して平等に見ようとする現代でも、
アフリカ各地や、パレスチナ、ユーゴスラビア、チモールにみるように
深刻な対立と戦闘がともなう。
他国人を鬼と恐れ、思想がより野獣に近かった古代には、
広域を統治することは難しかった。
それは後世の戦国時代、
それを何とか統一した江戸時代をみてもよくわかる。
だから東国は自発的に隷属したのではない。
やはり西方勢力に征服されたのである。
現実には神武東征どころではない大騒乱があったのである。
それが大和朝廷の記録に欠けているのは、
7世紀前後のその大争乱が
大和朝廷以外の者の手で行なわれたからにほかならない。
それは一体?だれが行なった征服戦争で、どんなものだったのか?。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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