2010年3月18日木曜日

日本古代王族の婚姻系譜(41)



 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録05:25頁


 出典:言語復原史学会・正会員:柿本一征


 「五十跡手の言語復原」


 五十=イソ=磯=磯城=隼人町、五島列島。イト=恰土郡(現在の前原市)、


 跡=ト=投(馬国)、アト=アタ=吾田、手=タ=立岩


 (伊万里湾の沿岸部にも立岩という地名がある)。


 354年から362年、伊呂弗


(その妃玉彦姫の別名岡陋オカヤ姫=遠賀水門の支配者で


 両者の子は「竺志連」「鍛冶師連」とある)


 と故国原王(五十跡手)は、


 「崗水門」の領有をめぐって激突したのであるから、


 そこはどちらにとっても要衝の地だった


 (当然といえばあまりにも当然だが)。


 こうした最終的な戦闘行為を回避する手段として


 領有権の分有ということがあるはずだが、


 譲れない事情があると、生死を賭けての対決になる。


 「布都久留の鹿児島王朝」


 4 布都久留の鹿児島王朝、カゴサカ・オシクマ皇子は鷲住王の息子


 百済13代近肖古王(五十琴宿祢)の長男は伊呂弗で、


 蓋婁王の娘玉彦姫との間に真椋、洛、飯豊青の三人の子がいた。


 真椋はマクラ=枕で、鹿児島県の枕崎である。


 玉彦姫の兄多遅麻連公の后は安姫で、


 安姫は五十琴の妹五十琴姫(弟姫)の娘であり、


 父は五十功彦である。
 
 多遅麻には玉彦姫の他に、もう一人の妹(中姫=可足渾)がいた。


 さて、伊呂弗にも妹がいた…と前提(想定)して、


 これらの人物の周辺の系譜を作成する。


 その前に、履中6年2月の系譜の意味を解明しておくと、


 実にスバラシイ発見が出来る。


 それは次のようになっている。


 鮒磯(ふなし)別王━|鷲住王    (履中天皇の妃の太姫郎姫は鮒磯別王の
           |太姫郎姫∥   娘で、鷲住王の妹だ…。)
            履中天皇∥


『参考』


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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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